千葉県富津市の内裏塚古墳群にある前方後円墳。墳丘長は106mで、稲荷山古墳と並んで内裏塚古墳群のなかでは3番目の規模を誇る大きな古墳です。周濠を含めると全長126mと推定されています。青堀小学校近くにありながら、こんもりとした古墳の雰囲気を残しながら、多くの謎を秘めた古墳になっています。
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千葉県富津市にある墳丘長122mという巨大な前方後円墳。内裏塚古墳群(だいりづかこふんぐん)のなかで、内裏塚古墳に次ぐ大きな古墳で、周囲に二重の周濠を巡らせ、周濠部を含めた全長は193mにも達します。江戸時代には三条塚古墳を取り込むように飯野藩の藩庁である飯野陣屋が築かれています。
飯野陣屋(いいのじんや)は、江戸時代、上総国(かずさのくに)周淮郡(すえぐん)飯野(現・千葉県富津市下飯野)にあった飯野藩の藩庁。飯野陣屋のは藩主・保科家とその家臣たちの屋敷がありました。「日本三大陣屋」の一つに数えられ、三大陣屋のなかではもっとも往時の雰囲気を残した陣屋です。
墳丘長27mで、内裏塚古墳群では三番目の規模を誇る方墳。残念ながら周辺の開発で墳丘は大きく削られてしまっています。昭和58に発掘調査が行なわれ、須恵器や土師器とともに石室内に安置された木棺に使用されたと推測される鉄釘が出土しています。横穴式石室は砂岩切石積みでつくられ全長6.9mです。
内裏塚古墳群のひとつに数えられる前方後円墳。墳長106m、後円部径52m、前方部幅84mで6世紀の築造と推定されています。周囲を後円部分でで22m、前方部分でで17m幅の濠が巡らされています。調査によってさらに外側にも全長202mの濠があったことが確認されています。周溝を含めた規模では、内裏塚古墳群中最大の古墳です。
千葉県富津市の内裏塚古墳群のひとつ。墳丘長103m(後円部直径57m、前方部幅74m)で、内裏塚古墳群では五番目の墳丘長を誇る大きな古墳です。内裏塚古墳、稲荷山古墳、三条塚古墳と並んで、須恵国造(すえのくにのみやつこ)など古代の地域の盟主の古墳だと推測されています。
千葉県富津市にある墳丘長144mの前方後円墳で千葉県最大の古墳。関東地方でも第8位、千葉県内や房総半島、東京湾周辺では最大規模を誇る巨大古墳となっています。前方後円墳11基、方墳7基、円墳29基が確認されている内裏塚古墳群の中心的な墳墓です。
富津市の青堀駅前のロータリー横にある古墳が上野塚古墳(うわのつかこふん)。前方後円墳11基、方墳7基、円墳29基の計47基の古墳が確認される内裏塚古墳群(だいりづかこふんぐん)の1基で、帆立貝型の前方後円墳。5世紀末頃築造で、内裏塚古墳群のなかでは最北、もっとも海岸線近くに位置しています。
内房線佐貫町駅の西、東京湾・浦賀水道を見下ろす大坪山(標高124.3m)山頂に建つ、巨大な観音像。昭和36年、東京・木場の木材商(丸宇木材市売創業者)・宇佐美政衛氏が、戦没者慰霊のために私費を投じて建てたもので、高さは56m。観音像の原型は彫刻家・長谷川昂(はせがわこう)によるものです。
千葉県立富津公園
東京湾の入口、富津岬に整備された千葉県立の公園。明治時代から太平洋戦争まで要塞地帯だったため、一般の立入が禁じられ、その結果、開発の手を免れて緑豊かな半島が残されています。公園全体が南房総国定公園に指定。海岸部は千葉県の指定天然記念物の富津洲海浜植物群落地となっています。
中の島展望台(富津元洲堡塁砲台跡)
当初は清国北洋水師、次にロシア太平洋艦隊の来攻を想定して東京湾の入口、富津岬の基部に築かれた東京湾要塞のひとつが富津元洲堡塁砲台。東京湾要塞の一部として大正時代まで機能しました。現在は県立富津公園の一部で、要塞の中央部には中の島展望台(中の島展望塔)が建っています。
富津岬展望台(明治百年記念展望塔)
東京湾に向かって、鶴のくちばしのように突き出した約5kmの砂嘴(さし)。南房総国定公園の一部で、わずか7km先の対岸に、三浦半島の観音崎を見渡せます。その観音崎と同様、幕末の1810(文化7)年には現在の県立富津公園の中の島公園展望塔の場所に富津台場、造海城(富津市竹岡)に竹ケ岡台場が築かれています。
江戸城の本丸、二の丸、三の丸部分が現在の皇居東御苑。明治時代に宮殿の造営にあわせて皇居附属庭園として整備されたもので、今も皇居の一部であることに変わりがなく、宮内庁が管理しています。昭和43年に公開され、江戸城の核心部分を散策することが可能です。Kokyo Higashi Gyoen(the East Garden of the Imperial Palace)
太田道灌が江戸城を築いた15世紀には、江戸湾に面した現在の平川門周辺には、上平川村、下平川村という村があったのが平川門の名の由来です。太田道灌の時代から門が築かれていたと推測され、3代将軍・徳川家光の治世である1635年(寛永12)年、高麗門(第一門)、渡櫓門(第二門)という強固な枡形門のスタイルとなりました。
鴨川市太海(ふとみ)の海岸から200mほどの海上に浮かぶ、仁右衛門島。周囲4kmの小さな島は、なんと平野仁右衛門さん個人所有の島。平野家の当主は代々仁右衛門を名乗りますが、推定38代目という当主の平野仁右衛門さんが、実際に島に暮らしています。島へは太海の渡船場から昔ながらの手漕ぎ船で渡ります。
鴨川市の内浦湾内にあり、日蓮が訪れた際、海に向かってお題目を書くと、多数の鯛が集まって、そのお題目を食べつくしたという伝説が残る海が鯛ノ浦(妙ノ浦)。それ以来、鯛はこの地で「日蓮聖人の分身」として、殺生禁断で保護されてきたのです。鯛の浦タイ生息地の名称で、国の特別天然記念物に指定されています。
天津小湊(あまつこみなと)の海岸に建つ日蓮宗(にちれんしゅう)の総本山。1276(建治2)年、日蓮誕生の地を記念して、生家跡地に、上総興津(かずさおきつ)城主・佐久間重貞、日蓮の弟子・日家(にっけ)上人らが建立したと伝えられる古刹です。日蓮宗の宗祖である日蓮は、1222(貞応元)年2月16日に小湊(現・鴨川市)で生誕。
鴨川市にある外房屈指の絶景ポイントが魚見塚展望台。魚見という名の通り、かつて沖合に、魚の群れが来るのを漁師たちが見張ったことが名の由来です。それだけ海の眺めがいい場所ということで、リアス式海岸の外房の入り組んだ海岸線を眺める絶好の展望スポットになっています。