東京都台東区下谷にある小野篁(おののたかむら)を祭神とする古社が小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)。溶岩を積んだ富士塚「下谷坂本富士」があることから地元では「お富士さん」と呼ばれています。境内に残る11基の塔が残る庚申塚(こうしんづか)は、日本三庚申に数えられた入谷庚申堂の名残とか。
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東京都台東区根岸、JR鶯谷駅前に鎮座するのが元三島神社。由来書によれば弘安の役(1281年=九州に元・朝鮮連合軍が攻め寄せた二度目の元寇)の際に伊予水軍の武将・河野通有(こうのみちあり)が、瀬戸内海の大三島に浮かぶ大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の分霊を勧請して創建(創建時は三島神社)と伝わる古社です。
東京都台東区東上野3丁目にある天平2年(730年)、峡田の稲置が創建と伝えられる(行基が伏見稲荷大社を勧請したとも)都内屈指の歴史を誇る古社が下谷神社(したやじんじゃ)。東京メトロ銀座線の稲荷町駅の名の稲荷町はかつて下谷神社が下谷稲荷社、下谷稲荷明神社と呼ばれたことに由来します。
東京都台東区浅草にある聖観音宗の寺、本龍院。浅草寺の子院のひとつで、山号の待乳山、本尊の歓喜天(聖天)から待乳山聖天(まつちやましょうでん)と称されています。奈良県生駒市の生駒聖天(宝山寺)、埼玉県熊谷市の妻沼聖天(歓喜院)とともに日本三大聖天にも数えられています。浅草名所七福神の毘沙門天も祀られています。
江戸時代の江戸城拡張の際に半蔵門と田安門の土橋で塞き止めて造られた水濠。明治33年に道路建設で半蔵濠が誕生しましたがそれ以前はひとつの濠でした。水濠沿いに千鳥ヶ淵緑道が整備され、都内屈指の桜の名所として有名。開花期にはライトアップが実施されるほか、お濠のボートも営業します。
三浦半島南端の島、城ヶ島の南側に広がるテラス状の岩礁地帯にある高さ8m、横6m、厚さ2mの海食洞が馬の背洞門。城ヶ島灯台や商店街のある島の西部から台地上に上がり、尾根沿いに洞門横に下るルート、海岸の岩畳の上を歩くルート(高波時は歩行できません)、さらに県立城ヶ島公園の駐車場からのルートが用意されています。
三浦半島の最南端、三崎港と城ヶ島大橋で結ばれる城ヶ島の西の高台に建つのが、城ヶ島灯台。日本で5番目に点灯した西洋式灯台で、初代の灯台は、フランス人技師ヴェルニーの設計で、明治3年初点灯。現在の灯台は昭和2年の再建で、灯高11.5m。内部の見学はできませんが、標高30mほどの高台に建つので基部からの眺めも抜群。
三浦半島の南端(神奈川県三浦市)、相模湾に突き出した岬が剱崎(つるぎざき)で、岩礁が連なる岬の高台には、剱埼灯台が建っています。灯台は幕末の慶応2年(1866年)、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ江戸条約によって江戸幕府が建設を約束した8ヶ所の灯台の一つ。
千葉県館山市にある真言宗智山派の寺、遍智院小塚大師。弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)が衆生救済の祈願にあらゆる災難・禍の身代りとして自らの木像を自刻し、本尊として創建と伝わる古刹。曼茶羅山金胎寺遍智院というのが正式名で、大神宮字小塚にあることから一般に「小塚大師」という名で親しまれています。
千葉県大多喜町にあった大多喜城は、戦国時代から江戸時代かけて存在した平山城。その本丸跡に建ち、天保6年(1835年)の図面を基にしての図面を基に復元した建物が、千葉県立中央博物館大多喜城分館(大多喜城)。「房総の城と城下町」を常設展のテーマとした歴史博物館で、大多喜の歴史を詳しく解説。続日本100名城に選定。
千葉市若葉区にある天台宗の古刹、栄福寺。境内にあるシダレザクラの巨樹は、天承元年(1131年)、坂尾五郎治の妻・高枝姫が病の治癒を妙見大菩薩に祈願し、本願成就の礼として植えたと伝わる「板尾の桜」で、「姫桜」と呼ばれています。樹齢は400年ほどなので、代替わりしていることに。花の見頃は例年3月中旬〜4月上旬頃。
東京都港区、増上寺周辺に広がる公園が芝公園。正式には都立芝公園、港区立芝公園の総称です。元々は増上寺境内の敷地を公園としたもので、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で、塔頭などの廃寺となった境内地を明治6年10月19日に公園としたもの。戦後の政教分離により、増上寺境内の部分が除かれ、環状の公園となっています。
横浜市中区、本牧ふ頭(ほんもくふとう)のD突堤先端に建つ、高さ48mの灯台(正しくは船舶通航信号所)が横浜港シンボルタワー。近代的なデザインの白亜の塔は、本牧のシンボル的存在になっています。横浜港と東京湾との境に位置し、横浜港へ入港する船に対して本牧船舶通航信号所から送信する信号所としての役割と、展望塔を兼ねています。
首都高速湾岸線、国道357号の本牧ふ頭A突堤(横浜市中区)から大黒ふ頭(鶴見区)に架かる全長860mのトラス斜張橋(吊橋)、横浜ベイブリッジ。平成元年9月27日に開通、塔高172m、ダブルデッキ形式の優美なプロポーションは、横浜のランドマークです。上層部は首都高速湾岸線で、下層部は国道357号となっています。
横浜開港100年を記念して昭和36年に建設された、港町・横浜のシンボル、横浜マリンタワー。建設当時は灯台の役目も担い、地上106mの世界一高い灯台として、ギネスブックにも登録。開港150周年を記念して平成21年にリニューアル。高さ91m、29階・30階部分の展望フロアからは、横浜港などが一望の大展望を得ることができます。
大川橋蔵や北大路欣也主演のテレビドラマ『銭形平次』(ぜにがたへいじ)は、野村胡堂(のむらこどう)の小説『銭形平次捕物控』が原作。主人公の銭形平次こと岡っ引の平次は、神田明神下に住むという設定。というわけで神田明神(正式名は神田神社)境内に銭形平次の碑、八五郎の碑が立っています。
海を除いた三方を山に囲まれた天然の要塞でもある鎌倉には、鎌倉七口と呼ばれる7ヶ所の入口が用意されていました。そのひとつが、現在の県鎌倉市十二所と横浜市金沢区朝比奈町を結ぶ峠道の朝比奈切通(あさひなきりどおし)。都市化の波から奇跡的に逃れ、往時のままに峠越えの山道が残され、スケッチなどにも絶好の地となっています。
養老川の支流、蕪来川を川廻し(河川曲流短絡工事)して造った隧道。川廻しとは、江戸時代以降、新田開発を念頭において行なわれた河川の直線化。幕末に蕪来川を隧道(トンネル)を掘削して川の水を直線化したのが弘文洞。残念ながら隧道部分(洞窟部分)は昭和54年5月24日に突然崩落して切り通しとなり、現在では弘文洞跡になっています。