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神田明神『神田祭』|千代田区|2023

2023年5月11日(木)〜5月17日(水)、東京都千代田区の神田明神で『神田祭』。江戸の総鎮守・神田明神(正式名は神田神社)の『神田祭』。江戸時代には天下祭といわれた江戸・東京を代表する祭礼。2023年は『山王祭』と隔年で行なわれる『神田祭』の年で、メインは土曜の『神幸祭』で神輿が江戸・東京の下町を巡行。

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千代田のさくらまつり|2019

2019年3月27日(水)〜4月7日(日)、東京都千代田区で『千代田のさくらまつり』が開催されます。期間中は、千鳥ヶ淵沿いに続く全長700mの千鳥ヶ淵緑道の桜のLEDライトアップ(電力は太陽光で発電)や「区営千鳥ヶ淵ボート場」の夜間営業(期間中は月曜も営業)、靖國神社でも様々な催事が催されます。

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千鳥ヶ淵の桜

江戸時代の江戸城拡張の際に半蔵門と田安門の土橋で塞き止めて造られた水濠。明治33年に道路建設で半蔵濠が誕生しましたがそれ以前はひとつの濠でした。水濠沿いに千鳥ヶ淵緑道が整備され、都内屈指の桜の名所として有名。開花期にはライトアップが実施されるほか、お濠のボートも営業します。

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銭形平次の碑

大川橋蔵や北大路欣也主演のテレビドラマ『銭形平次』(ぜにがたへいじ)は、野村胡堂(のむらこどう)の小説『銭形平次捕物控』が原作。主人公の銭形平次こと岡っ引の平次は、神田明神下に住むという設定。というわけで神田明神(正式名は神田神社)境内に銭形平次の碑、八五郎の碑が立っています。

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大久保利通哀悼碑

東京都千代田区紀尾井町の清水谷公園にあるのが大久保利通哀悼碑。明治11年5月14日朝、大久保利通は石川県士族・島田一郎(しまだいちろう)ら6人の不平士族によって暗殺されました(紀尾井坂の変)。明治21年5月、西村捨三、金井之恭、奈良原繁らによって紀尾井坂に「贈右大臣大久保公哀悼碑」が建立されました。

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清水谷公園

江戸時代、紀伊(紀州徳川家)、尾張(尾張徳川家)、井伊(井伊家)のそれぞれの屋敷があった東京都千代田区紀尾井町にある公園。紀州徳川家と井伊家の境からは清水が湧き出し、一帯は清水谷と称されていました。明治23年に一帯の土地が東京市に寄贈され、清水谷公園として整備。昭和40年に千代田区に移管され、現在は区立公園になっています。

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万世橋

延宝4年(1676年)に架橋の筋違橋(すじかいばし)がルーツというのが神田川に架かる万世橋(まんせいばし)。江戸城三十六見附のひとつ、筋違見附門に付随する橋でしたが、明治5年、に筋違見附門が取り壊され、余った石材を利用して初代の萬世橋(よろずよばし=萬代橋)が架橋。現在の橋は昭和5年に帝都復興事業で架橋されたもの。

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江戸城 坂下門

坂下門は江戸城西の丸造営直後に築かれた門が坂下門。江戸時代には西の丸大奥に近く、西丸の通用門として利用されていました。現在、西の丸は皇居となっているため、宮内庁の管理で、通常は立ち入ることができません。文久2年1月15日(1862年2月13日)、老中・安藤信正がこの門外で水戸浪士に襲われた「坂下門外の変」は有名。

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和田倉噴水公園

皇居外苑地区の一角にあり、平成7年、皇太子殿下のご成婚を機に完成した公園が和田倉噴水公園。もとは昭和36年、今上天皇のご成婚を記念して作られた、和田倉噴水を再整備したもので、高さ5.5m、長さ30mの滝などが配されており、まさに都会のオアシス的存在。

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阿久悠記念館

御茶ノ水駅前にある明治大学駿河台キャンパスの一角、明治大学アカデミーコモン地下1階にあるのが阿久悠記念館。日本を代表する作詞家・作家阿久悠に関する、淡路島で生まれ育ち、明治大学進学当時の資料から、作詞・作家活動で時代を牽引し続けた阿久悠の業績までをわかりやすく解説しています。

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皇居東御苑 完全ガイド

江戸城の本丸、二の丸、三の丸部分が現在の皇居東御苑。明治時代に宮殿の造営にあわせて皇居附属庭園として整備されたもので、今も皇居の一部であることに変わりがなく、宮内庁が管理しています。昭和43年に公開され、江戸城の核心部分を散策することが可能です。Kokyo Higashi Gyoen(the East Garden of the Imperial Palace)

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平川門

太田道灌が江戸城を築いた15世紀には、江戸湾に面した現在の平川門周辺には、上平川村、下平川村という村があったのが平川門の名の由来です。太田道灌の時代から門が築かれていたと推測され、3代将軍・徳川家光の治世である1635年(寛永12)年、高麗門(第一門)、渡櫓門(第二門)という強固な枡形門のスタイルとなりました。

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皇居東御苑

江戸城の本丸と二の丸、三の丸跡を整備し、昭和43年から一般に公開したのが皇居東御苑。「皇居附属庭園」というのが元来のスタイルで、今も宮内庁の管理です。

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三日月濠(乾濠)

江戸城の本丸を守る内濠(内堀)のひとつが三日月濠。明治21年、江戸城西の丸・吹上に明治宮殿で建設され、乾門(いぬいもん)が新造されたことで、乾濠と呼ばれるようにもなりました。三日月濠という名は、その名の通り、三日月のかたちだから。乾濠は、江戸城の戌亥(いぬい=北西)の方向にあるから。

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桔梗門

江戸城桔梗濠に面した門が桔梗門(ききょうもん)で、「桜田門外の変」で井伊直弼(いいなおすけ)が暗殺された外桜田門に対して、内桜田門とも呼ばれています。この門を入ると江戸城三の丸で、大名などの登城は、大手門と内桜田門(桔梗門)と定められていました。現在では皇居一般参観の入城門になっています。

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桔梗濠

1614(慶長19)年に造られた桔梗門(内桜田門)近くにある江戸城の内濠(内堀)。最初に江戸城を築いた太田道灌の時代に、この近くに道灌が築いた「泊船亭」があった地と伝えられ、道灌の家紋の桔梗紋から桔梗門、桔梗濠という名が付いたと推測できます。築城当初はまだ日比谷入江(江戸湾)に面していた地なのです。

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大手濠

平川門と大手門の間にある江戸城の内濠(内堀)が大手濠(大手堀)。大手とは追手、つまりは玄関(正門)という意味なので、この大手濠のある側が江戸城の正面ということになります。

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平川濠

江戸城・平川門に架かる平川橋を境に西側の内濠(うちぼり)が平川濠(平川堀)、東側は大手濠と呼ばれ、水は平川濠から大手濠に向けて流れています。平川濠は北桔橋門から平川門まで江戸城本丸の北側、三の丸の西側を防備する濠です。平川濠の北側が江戸城・北の丸です。

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