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乾門

乾門は江戸城の乾(いぬい=戌亥/北西)の方向にある門の一つですが、実は明治21年、皇宮建設の際に新たに誕生した「明治の門」。坂下門の内側にあった西の丸裏門を移築したものです。新年一般参賀、桜の開花期、秋の紅葉の時期に行なわれる「皇居乾通り一般公開」の際に出入り口として使用されます。

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西桔橋・西桔橋門跡

江戸城の西ノ丸吹上庭園から本丸の天守、大奥に通じる要所の門。往時には門ととも通常は跳ね上げていた橋がありましたが、今では固定の小さな橋に変わっています。しかも「皇居乾通り一般公開」の時以外には立ち入ることができません。

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北桔橋門

江戸城本丸の大奥、天守部分から外部に直接通じる門が北桔橋門(きたはねばしもん)。門の横の内濠(平川濠・三日月濠)は防御力を高めるためにほかよりも深く、石垣は最も堅固になっています。現在では大手門、平川門と同様に、宮内庁が管理する皇居東御苑(江戸城の本丸・二の丸・三の丸)の入城門となっています。

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桃華楽堂(皇居東御苑)

昭和41年2月に音楽好きの香淳皇后(こうじゅんこうごう=昭和天皇の皇后)の還暦記念として建設された200名収容の音楽ホール。キンポウゲ科の「テッセン」の花弁(八弁花)を形どつた屋根と八面体という珍しいフォルムで、江戸城本丸跡、天守台の横に建っています。天守台石垣横に不思議な空間を生み出しています。

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諏訪の茶屋(皇居東御苑)

皇居東御苑内、二の丸庭園にある風雅な茶室。火災などで焼失後、11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の時に創建されています。かつては吹上御苑(西の丸西側、現在の御所などのある一帯)にありましたが、昭和43年、皇居東御苑の整備の際に移築されました。建物は、明治45年に再建されたもので茶室としての利用はできません。

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展望台(皇居東御苑)

江戸城本丸跡の西側、本丸休憩所の裏手から登った先、白鳥濠の脇に展望台があります。江戸城は本丸と白鳥濠を隔てた二の丸は標高差が10mほどあります。その標高差を活かして、かつての日比谷入江の海岸段丘のヘリに位置するのが展望台というわけなのです。白鳥濠を見下ろし、大手町や丸ノ内の林立するビル群も眺望します。

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宮内庁三の丸尚蔵館(皇居東御苑)

皇居東御苑内、大手門近くにあるミュージアム。天皇家から寄贈された絵画・書・工芸品などの美術品類に加え、故秩父宮妃のご遺贈品、香淳皇后のご遺品、故高松宮妃のご遺贈品、三笠宮家のご寄贈品など1万点近くを収蔵。明治以降に日本各地から皇室に献上された様々な工芸品などを企画展によって紹介しています。

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諏訪坂

赤坂方面から外濠を渡り、赤坂見附(赤坂御門)を入った先の坂道。現在では都道府県会館、赤坂プリンスクラシックハウス前の坂道が諏訪坂。もともと諏訪氏の屋敷のあったことが名の由来です。諏訪氏というのは、諏訪神社上社大祝(おおほうり)を司った家柄で、大名家のほか旗本にもなっていました。

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赤坂見附跡

江戸城を守る主要な城門「江戸城三十六見附」のひとつで、外濠(そとぼり)に位置する枡形門。平河町2丁目の都道府県会館前の交差点一帯がかつての城門(見附)の跡。濠端に小さな園地が設けられ、一部の石垣が残され、往時を偲ぶことができます。四谷側へと続く弁慶濠は、江戸城外濠で往時の姿を残す唯一の貴重な場所です。

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喰違見附跡

1612(慶長17)年、甲州流軍学の創始者・小幡景憲(おばたかげのり)によって縄張りされたと伝わる江戸城外郭門のひとつ。江戸城の城門は枡形門と呼ばれる石垣をコの字型に巡らした強固なものですが、喰違見附は土塁を前後に延ばして道をジクザクにして直進を阻むという、戦国期以来の古い形態の虎口(こぐち=城の出入口)の構造です。

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天神濠(皇居東御苑)

江戸城の三の丸と二の丸を隔てる濠。平川門から江戸城に入ると左手に天神濠、右手に平川濠があります。今では土橋になっていますが、江戸城築城当初は跳ね橋で、いざという時には橋を落として防衛力を強化することができました。天神濠という名は、太田道灌(おおたどうかん)の菅原道真好きに由来しています。

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常盤橋門跡

近世最大級の城郭を誇る江戸城ですが、雉子橋門を起点に時計回りに新たに開削した神田川(仙台濠)に至るまで、全長14kmの外濠を巡らせていました。常盤橋門は、江戸城外郭の正門にあたる重要な門で、石垣が現存し、国の史跡となっています。目下日本最高層、高さ390mのビルも建築中です。

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白鳥濠(皇居東御苑)

江戸城の二の丸と本丸の間を東西に隔てる濠(ほり)が白鳥濠(はくちょうぼり)。南北に長く伸びて本丸を守るかたちになっています。濠の北側は汐見坂で、築城初期にはこの坂から日比谷入江を眺めました。白鳥濠は、完全に独立した濠で、濠に湛える水は湧き水と雨水のみになっています。家康時代に積まれたという石垣も必見です。

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汐見坂(皇居東御苑)

江戸城の本丸と二の丸をつなぐ坂道。江戸城築城の際には、江戸湾の日比谷入江が目の前まで迫り、坂の途中から海が見えたのが名の由来です。往時には坂の上には、汐見坂門がありました。また坂の横には白鳥濠があって、防御が堅いのがよくわかります。

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梅林坂(皇居東御苑)

皇居東御苑の梅の名所といわれるのが梅林坂。梅の開花期である2月上旬頃には石垣と梅の花という絶景スポットになっています。もともと、太田道灌(おおたどうかん)が江戸平河城を築城した際に、領地である川越の三芳野神社(みよしのじんじゃ)から祭神である菅原道真の分霊を勧請して天満社を創建したのが始まりという歴史ある梅林です。

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富士見多聞(皇居東御苑)

多聞(たもん)とは城郭の石垣上に建てられた長屋のこと。通常の城壁より防御機能を高めたもので、富士見多聞は江戸城本丸に配された多聞。文字通り富士を眺めました(現在は眺望できません)。江戸城本丸には多聞が随所に築かれていましたが、現存するのは富士見多聞だけとなっています。

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石室(皇居東御苑)

現在は皇居東御苑の一部となった江戸城の本丸。その本丸跡の蓮池濠沿いにあるのが石室。文字通り、石で組んだ室(むろ=部屋)で、内部は20平方メートルほどの広さとなっています。石は伊豆半島から船で運んだ安山岩(伊豆石)の切石で、隙間もないほどキッチリと石が積まれています。

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二の丸庭園(皇居東御苑)

江戸城二の丸は本丸の東側に位置し、3代将軍家光の命で1630(寛永7)年に小堀遠州の手により遊行のための庭園を造成。家光と秀忠との茶会が催されています。2代将軍・徳川秀忠が死去した後の1636(寛永13)年には二の丸御殿が建てられ東側に庭園を配置しました。現存する庭園は往時の庭園を昭和43年に復元したものです。

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