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平河天満宮

江戸平河城の城主・太田道灌(おおたどうかん)が1478(文明10)年、江戸平河城内に天満宮を建立したのが始まり。徳川家康の関東入封で、江戸城の築城のため平川門外に遷座し、さらに1607(慶長12)年、2代将軍・徳川秀忠が現社地(貝塚)に遷しました。平河町という地名も平河天満宮(平川天神)に由来。

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四谷見附跡

江戸城三十六見附のひとつ。江戸城半蔵門から武蔵国国府(府中)をへて甲州(今の山梨県)に至る重要なルートの途上に築かれた枡形門。江戸城の外濠を築いた際に、門も築かれて防御を万全なものにしたのです。真田信之が築いたという外濠(真田濠)は埋め立てられ、上智大学真田堀運動場となっています。

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ホテルニューオータニ東京 日本庭園

ホテルニューオータニ東京の建つ場所は、江戸時代の初めには熊本藩・加藤清正の下屋敷。その後は彦根藩井伊家の中屋敷となりました。周囲には紀州藩、尾張藩の下屋敷があり、紀尾井町という名を生んでいます。明治維新で伏見宮邸宅となり、戦後、ホテルニューオータニが建てられて、大名庭園を起源とする日本庭園が造られたのです。

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和光本館

日本の一等地、銀座4丁目の交差点にそびえる和光本館。銀座に特別な建築美と高級感を漂わせ、銀座の「ハイカラ感」を演出するシンボル的な存在になっています。というわけで、日本建築士会連合会の「東京都のランドマーク」にも認定されているのです。

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広重の浮世絵に見る 彦根藩井伊家上屋敷

幕末の大事件、一気に明治維新への流れとなった有名な桜田門外の変は、多くの映画化、ドラマ化がされていますが、殺害された井伊直弼(いいなおすけ)が住んでいたのが彦根藩井伊家上屋敷。門前には桜の井、柳の井という有名な井戸もあって、広重などの錦絵にも数多く描かれています。

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日本国道路元標

東京にはいろいろな原点、元標がありますが、日本橋の橋の上にあるのが日本国道路元標(Kilometer Zero)。その名の通り、道路の起点となるポイントを示したものです。日本橋にあるのは、徳川幕府が定めた五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の起点を明治政府が踏襲したもの。

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ゴジラ像(日比谷シャンテ・合歓の広場)

日比谷の東宝日比谷ビル(「日比谷シャンテ」)北側敷地内の「合歓の広場」に置かれたゴジラ像。東宝スターの手形が貼られていることから、「スターの手形広場」とも呼ばれていますが、ゴジラ生誕40週年を記念して制作されたゴジラ像が印象的です。

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東京最初の街路樹(市内最初の並木)

街路樹の歴史は遠く奈良時代まで遡ります。759(天平宝字3)年、太政官符が発せられ、畿道七道に果樹並木が植栽されました。東京で最初の並木は、明治7年、近代的街路樹として銀座通りにクロマツ、桜が、そして内堀通りにニセアカシアが植栽されました。とくに外来種が植えられた内堀通りは「市内最初の並木」として石碑も残されています。

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国会前庭・北庭(彦根藩井伊家上屋敷跡)

NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の主人公・井伊直虎は、徳川四天王で、初代彦根藩主・井伊直政(虎松)の養母。1632(寛永9)年、2代藩主・井伊直孝は、3代将軍・徳川家光の後見役となり、熊本藩・加藤家の屋敷だった地を江戸上屋敷としています。これが現在の国会前庭・北庭、憲政記念会館一帯です。

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日本水準原点

首都・東京には、日本国内の様々な「原点」がありますが、これもそのひとつ。国会前庭の北庭、憲政記念館前にあるのが、日本の標高の基準となる「日本水準原点」です。実は、日本の標高は、東京湾の平均海面が基準ですが、それでは干満などによって変異するため、陸上で基準となる測地点と標高が定められているのです。

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江戸城を楽しむ 3×3

東京周辺に住む人でも江戸城に行ったことがある人、江戸城をじっくり見たことがある人は少ないかと。江戸城は、西の丸部分がいわゆる皇居で、皇居一般参観の許可(インターネット申請も可能)が必要。天守台跡があるのが皇居東御苑、さらには北の丸(北の丸公園)に皇居外苑とかなり広大。そこで、見学のポイントとなる江戸城の3×3をご紹介!

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『桜田門外の変』を現場検証しよう!

徳川幕府の終焉の時代と、広く世の中が認識した幕末の大事件が『桜田門外の変』。江戸城西の丸入口、外桜田門で、安政7年3月3日(1860年3月24日)、水戸藩からの脱藩者らが、時の大老・井伊直弼(いいなおすけ)を殺害するという事件が起こります。その現場は、今も往時の名残をとどめていますので、現場検証には絶好!

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江戸城 桜田門(重要文化財)

江戸城の小田原口に1636(寛永13)年、外濠などを巡らせた江戸城総構(惣構=そうがまえ)の際に桝形門に改築したのが桜田門。1860(安政7)年、この桜田門の外で、水戸藩浪士らによる大老・井伊直弼(いいなおすけ)の暗殺事件が発生。これが映画やドラマ化されている「桜田門外の変」。門は往時のままに現存し国の重要文化財です。

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江戸城 田安門(重要文化財/北の丸公園)

北の丸公園の日本武道館への入口に位置する門。太田道灌(おおたどうかん)築城時代の江戸城では、この場所が田安口(飯田口)で、上州(現・群馬県)・北関東方面への街道の玄関口となっていました。江戸時代初期、江戸城の総構が完成した時代の門が奇跡的に残され、国の重要文化財になっています。

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江戸城 清水門(重要文化財/北の丸公園)

江戸城北の丸(現・北の丸公園)の東門。高麗門と渡櫓門からなる門は、江戸時代のものが現存し、国の重要文化財に(文化庁の管理)。清水門という名の由来は、家康入府で江戸城が築城される以前、中世には清水寺が建っていたとか、清水が湧き出す土地だからともいわれ定かでありません。

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将門塚(平将門の首塚)

大手町のビル街のなかにひっそりと眠っているのが将門塚(しょうもんづか)と通称される平将門(たいらのまさかど)の首塚。もともと神田明神の祀られていた地でもあり、東京を代表するパワースポット。江戸時代には江戸城・大手門を守る酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)の上屋敷跡で、有名な「伊達騒動」の終末の地にもなっています。

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江戸城 桜田巽櫓

皇居参観へは桔梗門(内桜田門)の前にある広場に集合しますが、目の前の桔梗濠(ききょうぼり)の向かいにそびえる二重櫓(にじゅうやぐら)が桜田巽櫓(さうらだたつみやぐら)。江戸城本丸の東南(辰巳=巽)の方向にあることが名の由来です。富士見櫓、伏見櫓と並んで江戸城に残る江戸時代の櫓のひとつで、三の丸に位置しています。

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江戸城 伏見櫓

江戸城西の丸の西南隅に建てられた二重櫓で、両横には大規模な多聞(たもん=防御を兼ねた収蔵庫)も続いています。1628(寛永5)年、3代将軍家光の時代の江戸城修築に際して、京・伏見城から移築したものと伝えられています(記録がなく伝承です)。石垣も櫓も堅牢で、関東大震災でも崩れずに往時の姿をとどめています。

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