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パワースポット 台東区 見る

待乳山聖天(本龍院)

東京都台東区浅草にある聖観音宗の寺、本龍院。浅草寺の子院のひとつで、山号の待乳山、本尊の歓喜天(聖天)から待乳山聖天(まつちやましょうでん)と称されています。奈良県生駒市の生駒聖天(宝山寺)、埼玉県熊谷市の妻沼聖天(歓喜院)とともに日本三大聖天にも数えられています。浅草名所七福神の毘沙門天も祀られています。

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中央区 江東区 見る

新大橋

隅田川をまたぐ新大橋通り(東京都道・千葉県道50号東京市川線)に架かる橋。中央区日本橋浜町2・3丁目と江東区新大橋1丁目を結ぶ橋で昭和52年に完成。もともとは、元禄6年12月7日(1694年1月4日)に当時「大橋」と呼ばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と名づけられました。架橋の回数は江戸時代に20回を超えています。

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歩く 見る 鴨川市

鯛の浦(鯛の浦遊歩道)

鴨川市の内浦湾内にあり、日蓮が訪れた際、海に向かってお題目を書くと、多数の鯛が集まって、そのお題目を食べつくしたという伝説が残る海が鯛ノ浦(妙ノ浦)。それ以来、鯛はこの地で「日蓮聖人の分身」として、殺生禁断で保護されてきたのです。鯛の浦タイ生息地の名称で、国の特別天然記念物に指定されています。

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千代田区 見る

広重の浮世絵に見る 彦根藩井伊家上屋敷

幕末の大事件、一気に明治維新への流れとなった有名な桜田門外の変は、多くの映画化、ドラマ化がされていますが、殺害された井伊直弼(いいなおすけ)が住んでいたのが彦根藩井伊家上屋敷。門前には桜の井、柳の井という有名な井戸もあって、広重などの錦絵にも数多く描かれています。

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中央区 江東区

広重・英泉の浮世絵に見る 永代橋

1698年(元禄11)年8月、隅田川に架橋された永代橋。富岡八幡宮の鎮座する永代島(えいたいじま)に通じる橋で、赤穂浪士の吉良邸討ち入りの際にも使われたという木橋です。大渡し(深川の渡し)のあった場所に架けられた隅田川4番目の橋。1807(文化4)年に崩落しているので、浮世絵の橋はその後の架け替え。

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江東区

広重の浮世絵&『江戸名所図会』に見る永代寺(現・深川公園)

明治初年の神仏分離、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で、廃寺となってしまった富岡八幡宮別当(別当=神社を管理する寺)・永代寺。永代寺境内では、江戸時代に11回も成田山新勝寺の不動明王像「出開帳」も行なわれた名刹で、見事な庭園を有していました。今は、深川公園となり面影のない名刹を、歌川広重の錦絵で偲びます。

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千代田区

広重の浮世絵に見る 赤坂・日枝神社(山王権現)

武蔵国の無量寿寺北院(現・川越市の喜多院)の住持だった天台宗の僧・天海は、家康の参謀となって活躍。3代将軍・家光治世の1624(寛永元)年には上野・忍岡に東叡山(東の比叡山)寛永寺を創建します。天台宗と徳川家の関係は家康以来、密接ですが、その比叡山と神仏習合だったのが山王権現だったのです。

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パワースポット 千代田区

広重&北斎 浮世絵に描かれた神田明神・神田祭

年配の人だと神田明神といえば、明神下に住んだ銭形平次を思い浮かべるかもしれません。銭形平次は実在の人物ではありませんが、平次の暮らした明神下から男坂の階段を上ると、眺めの良い、神田明神の境内です。この男坂の石段も日本橋・神田界隈の町火消(まちびけし)の寄進です。江戸の華といわれた『神田祭』の情景も必見です。

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港区

広重&豊国 浮世絵に描かれた増上寺

徳川家康が江戸入府の際に、住職に出会ったことが寛永寺と並ぶ徳川将軍家尊崇の寺となったとも伝えられる芝・増上寺。江戸時代には広大な敷地を誇る大寺院で、東海道側に設けられた大門がその玄関口として機能していました。大門は現存し、周辺の地名も芝大門として残されています。

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台東区

広重&国芳 浮世絵に描かれた駒形堂

隅田川に架かる駒形橋。そのたもとに駒形という地名の由来になった駒形堂があります。実はこの小さなお堂、東京最古といわれる歴史を誇る浅草寺のさらにルーツとなるお堂。江戸時代には吉原通いの粋人が乗る渡し舟の舟着き場も近くにあったことから、多色刷りの浮世絵(錦絵)にも描かれています。

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市川市 見る 遊ぶ

里見公園(国府台城跡)

下総台地の西端、江戸川に面した台地上に広がる市川市の公園。里見公園と呼ばれるのは、中世に里見氏と北条氏の激戦の国府台城だったから。国府台という地名は、下総国(しもうさのくに)の国府(現在の県庁にあたる地方の行政機関)が台地上にあったから。

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