2023年7月7日(金)~9月18日(月・祝)19:15(帰着は21:00)、東海汽船の『東京湾納涼船』が竹芝客船ターミナルから出航します。東海汽船の東京~大島〜利島〜新島〜式根島〜神津島に就航する大型客船「さるびあ丸」(6099t)を東京港停泊中の時間を利用して、東京湾周遊に活用するもの。
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2020年3月20日(金・祝)~4月5日(日)9:00〜18:00(最終入園17:30)、東京都港区の浜離宮恩賜庭園で『春の開園時間延長』が行なわれます。例年、浜離宮恩賜庭園では4月初旬にソメイヨシノが、4月中旬には八重桜が満開になります。そんな桜の開花シーズンに合わせ、開園時間を通常より1時間延長
東京都港区、増上寺周辺に広がる公園が芝公園。正式には都立芝公園、港区立芝公園の総称です。元々は増上寺境内の敷地を公園としたもので、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で、塔頭などの廃寺となった境内地を明治6年10月19日に公園としたもの。戦後の政教分離により、増上寺境内の部分が除かれ、環状の公園となっています。
東京都港区元赤坂にある曹洞宗の寺、豊川稲荷東京別院。愛知県豊川市にある有名な豊川稲荷の東京別院です。豊川稲荷は神社ではなく、豊川稲荷妙厳寺という寺で、東京別院はその唯一の直轄寺院。もともと時代劇の『大岡越前』で知られる大岡忠相(おおおかただすけ)の江戸屋敷の邸内にあった屋敷稲荷がルーツです。
東京都港区元麻布1丁目にある浄土真宗本願寺派の寺、麻布山善福寺。背後は高台となった元麻布の高級住宅街、大使館街。寺伝によれば天長元年(824年)に空海(弘法大師)創建といい、都内では、浅草寺、深大寺に次ぐ古刹。越後国国府(現、新潟県上越市)に配流になっていた親鸞が、鎌倉時代に浄土真宗に改宗したと伝えられています。
ペリーの浦賀来航に伴って、江川太郎左衛門が江戸湾周辺を調査し、幕府の予算不足から品川沖のみに突貫工事で建設が始まった台場群。1854(嘉永7)年4月には第一台場〜第三台場が完成しています。12月に第五台場・第六台場が完成しています。周囲を海に囲まれた第六台場は、残念ながら上陸が禁止されています。
レインボーブリッジの足元に広がる台場公園。お台場エリアにある東京都建設局が管理する公園ですが、公園内にある第三台場は、江戸時代に外国船を警備するために作られた海上砲台の跡でいわばお台場のルーツ。1854(安政元)年に竣工した台場で、往時は海上にありましたが埋め立てられて陸続きになり、昭和3年に公園として開放されたもの。
新政府軍の江戸城総攻撃は、1868(慶応4)年3月15日に予定されていました。その前日、3月14日、東征大総督府下参謀・西郷隆盛と、旧幕府徳川家陸軍総裁・勝海舟の会談が、田町の薩摩藩邸(蔵屋敷)が行なわれました。薩摩藩蔵屋敷跡は、三菱自動車工業本社ビルとなっていますが碑が立てられています。
江戸城松之大廊下で播磨赤穂藩藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)を切りつけた殺傷事件が発端になった「赤穂事件」。四十七士が本所・吉良邸に討ち入りし、本懐を遂げた話は『忠臣蔵』として描かれていますが、その四十七士の墓(赤穂浪士の墓)があるのが、赤穂藩・浅野家菩提寺の泉岳寺。
大石内蔵助(おおいしくらのすけ)ら赤穂浪士・四十七士の討ち入り事件を伝える話「忠臣蔵」であまりにも有名な泉岳寺。代々赤穂藩浅野家の菩提寺として、境内には藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)や夫人の墓の他、吉良上野介の首を洗ったとされる首洗井戸があります。
東京モノレールの発着するJR浜松町駅に隣接する世界貿易センタービルは、40階建て、高さ152mの超高層ビル。昭和43年4月12日オープンの日本初の超高層ビル、霞が関ビルディング(36階、147m)を5m凌いで昭和45年3月に完成。超高層ビル走りの時代の展望台は、今も健在です。
東京のシンボル東京タワーは、昭和33年に完成した高さ333mの電波塔。正式名称は日本電波塔。現在も各テレビ局からの放送用電波を受発信している現役の総合電波塔。展望台は地上150mの大展望台と250mの特別展望台の2ヶ所用意されており、東京港はもちろん、関東一円を見渡す360度の大パノラマが楽しめます。
江戸城外濠跡に位置する日比谷セントラルビル。その公開緑地には江戸城外濠の石垣を復元保存しています。昭和9年に日産館、昭和19年に大日本帝国海軍の艦政本部などが置かれた場所で、昭和31年以降は三井物産の所有となり、物産館として三井物産の本社社屋となりました。昭和58年に日比谷セントラルビル建築の際に、公開緑地を設置。
港区南麻布の高台(淀橋台)から台地下へという傾斜地を利用した公園。江戸時代には南部藩(盛岡藩)下屋敷だった地。明治中期から有栖川宮邸地となり、その後、高松宮家所有を経て、東京市に下賜されて有栖川宮記念公園、北側は東京府養正館となりました。東京府養正館の土地には、現在、都立中央図書館が建っています。
中世の豪族の館に始まり、江戸時代は高松藩松平家の下屋敷、明治時代は旧陸海軍の火薬庫、大正時代からは皇室の御料地(白金御料地)と、長い間人が立ち入らない状態が続いたために残った貴重な自然。昭和24年、自然保護のため天然記念物・史跡に指定されると同時に、現在の形で一般にも公開されるようになりました。
六本木ヒルズ内の日本庭園が毛利庭園。テレビ朝日が隣接するため、ニュース番組などで毛利庭園からの中継も多いので全国的にも馴染みの深い場所になっています。毛利甲斐守邸跡(長門長府藩麻布上屋敷の跡)でもあり、赤穂浪士の岡嶋八十右衛門ら10人が切腹した邸で、乃木大将誕生の地にもなっています。
東京ミッドタウンに隣接する港区立の公園。江戸時代には長州藩・松平大膳大夫(毛利家)の下屋敷があった場所で、「清水園」と呼ばれる大名庭園のあった場所。檜町という名は、毛利邸の南側に見事な檜(ヒノキ)林があったことから「檜屋敷」と呼ばれていたことに由来。屋敷は3万6800坪(12ha)という広大な広さでした。
1678(延宝6)年、佐倉藩主で老中・大久保忠朝(おおくぼただとも)が4代将軍・徳川家綱から拝領した大名庭園「楽壽園」が前身となるのが旧芝離宮恩賜庭園(きゅうしばりきゅうおんしていえん)。往時には江戸湾に面し、海の水を庭園に引き込む潮入の庭園でした。ビルに囲まれた現在は、都立公園として庭園観賞を楽しむことが可能です。