ペリーの浦賀来航に伴って、江川太郎左衛門が江戸湾周辺を調査し、幕府の予算不足から品川沖のみに突貫工事で建設が始まった台場群。1854(嘉永7)年4月には第一台場〜第三台場が完成しています。12月に第五台場・第六台場が完成しています。周囲を海に囲まれた第六台場は、残念ながら上陸が禁止されています。
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レインボーブリッジの足元に広がる台場公園。お台場エリアにある東京都建設局が管理する公園ですが、公園内にある第三台場は、江戸時代に外国船を警備するために作られた海上砲台の跡でいわばお台場のルーツ。1854(安政元)年に竣工した台場で、往時は海上にありましたが埋め立てられて陸続きになり、昭和3年に公園として開放されたもの。
東京湾を航行する船から、そして富津岬突端の展望塔(明治百年記念塔)から眺めることができる、東京湾の人工島が第二海堡(だいにかいほ)。
富国強兵を目ざした明治時代に、東京湾防備の要として建設された海上砲台です。
明治20年代に山縣有朋(やまがたありとも)らによる本土要塞化の一環で、東京湾の要塞化が図られました。
最初に築かれたのが、富津岬の根元の砲台(富津元洲堡塁砲台)と、富津岬沖(約1kmほど沖)の第一海堡(だいいちかいほ/だいいちかいほう)です。