当初は清国北洋水師、次にロシア太平洋艦隊の来攻を想定して東京湾の入口、富津岬の基部に築かれた東京湾要塞のひとつが富津元洲堡塁砲台。東京湾要塞の一部として大正時代まで機能しました。現在は県立富津公園の一部で、要塞の中央部には中の島展望台(中の島展望塔)が建っています。
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当初は清国北洋水師、次にロシア太平洋艦隊の来攻を想定して東京湾の入口、富津岬の基部に築かれた東京湾要塞のひとつが富津元洲堡塁砲台。東京湾要塞の一部として大正時代まで機能しました。現在は県立富津公園の一部で、要塞の中央部には中の島展望台(中の島展望塔)が建っています。
東京湾に向かって、鶴のくちばしのように突き出した約5kmの砂嘴(さし)。南房総国定公園の一部で、わずか7km先の対岸に、三浦半島の観音崎を見渡せます。その観音崎と同様、幕末の1810(文化7)年には現在の県立富津公園の中の島公園展望塔の場所に富津台場、造海城(富津市竹岡)に竹ケ岡台場が築かれています。
東京湾を航行する船から、そして富津岬突端の展望塔(明治百年記念塔)から眺めることができる、東京湾の人工島が第二海堡(だいにかいほ)。
富国強兵を目ざした明治時代に、東京湾防備の要として建設された海上砲台です。
東京湾に突き出した富津岬全体が千葉県立富津公園に指定されていますが、実はその根元の部分に、堀で囲まれた城郭のようなものがあるのをご存じでしょうか?
これが、東京湾防備の要塞の一つ、富津元洲堡塁砲台の跡です。