東京湾に向かって、鶴のくちばしのように突き出した約5kmの砂嘴(さし)。南房総国定公園の一部で、わずか7km先の対岸に、三浦半島の観音崎を見渡せます。その観音崎と同様、幕末の1810(文化7)年には現在の県立富津公園の中の島公園展望塔の場所に富津台場、造海城(富津市竹岡)に竹ケ岡台場が築かれています。
狭義の東京湾と浦賀水道を分ける岬
[colwrap] [col2][/col2] [col2][/col2] [/colwrap]この富津岬が東京湾と浦賀水道を分ける岬とされ、観音崎と富津岬を結ぶ線から外海が浦賀水道、内海が東京湾とされています。
(広義の東京湾は三浦半島の剱崎と房総半島の洲崎を結んだ線から北側で、浦賀水道も東京湾に含まれます)
富津岬は海岸に沿う2方向からきた沿岸流が2つの砂州(さす)を生み出し、その2つの砂州が合体してできた尖角岬です。
現在、富津岬の突端には、五葉松をかたどった高さ30mの明治百年記念展望塔が建っています。
展望塔に上ると、海上に浮かぶ海堡と、浦賀水道を行き交う船、対岸の三浦半島が一望のもと。晴れた日には富士山を眺望し、「関東の富士見百景」にも選定されています。
すぐ沖合には第一海堡、第二海堡が!
明治百年記念展望塔から沖を眺めると島があることに気が付きます。これが明治23年完成の第一海堡(かいほ)、大正3年構築の第二海堡。
第二海堡と海軍基地のあった横須賀港の中間に第三海堡を30年近くを費やして大正10年に完成させていますが、関東大震災で3分の1が水没したため、金谷砲台などに移しています。第三海堡は撤去され、東京湾口航路事務所(神奈川県横須賀市新港町)に展示されています。
また、第一海堡へは昭和30年代まで砂州で陸続きだったとか。今では浸食が進んで沖合に位置しています。
富津岬一帯は、第2次世界大戦後まで東京湾防衛の要塞(東京湾要塞)となっていました。往時には、近くを通る列車の窓にはブラインドがおろされ、海岸の要塞を眺めることすらできなかったということです。
第2次世界大戦終戦後の昭和20年8月30日、連合国軍は富津岬から本土に上陸し、第一海堡、第二海堡の構築物を爆破しています。
富津岬にはもうひとつ、幕末の富津台場跡、明治の富津元洲堡塁砲台跡に中の島公園展望塔もあるので時間が許せばぜひ寄り道を。
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※2022年11月中旬〜2023年3月末日まで、明治百年記念展望塔は、補修工事のため立入禁止。
富津岬展望台(明治百年記念展望塔) | |
名称 | 富津岬展望台(明治百年記念展望塔)/ふっつみさきてんぼうだいめいじひゃくねんきねんてんぼうとう |
所在地 | 千葉県富津市富津 |
関連HP | 千葉県立富津公園公式ホームページ |
電車・バスで | JR青堀駅から日東交通バス富津公園行きで12分、終点下車、徒歩20分 |
ドライブで | 館山自動車道木更津南ICから約12km |
駐車場 | 100台/無料 |
問い合わせ | 富津公園管理事務所 TEL:0439-87-8887/FAX:0439-87-5647 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |