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豊川稲荷東京別院

東京都港区元赤坂にある曹洞宗の寺、豊川稲荷東京別院。愛知県豊川市にある有名な豊川稲荷の東京別院です。豊川稲荷は神社ではなく、豊川稲荷妙厳寺という寺で、東京別院はその唯一の直轄寺院。もともと時代劇の『大岡越前』で知られる大岡忠相(おおおかただすけ)の江戸屋敷の邸内にあった屋敷稲荷がルーツです。

大岡忠相が邸内に豊川稲荷の吒枳尼天を勧請

大岡忠相は、江戸中期に実在する幕臣。
8代将軍・徳川吉宗が推し進めた享保の改革を江戸町奉行として支えています。
町火消組合を創設し、「いろは四十七組(のちに四十八組)」の小組に再編成。
さらに目安箱の設置、小石川養生所を設置などは史実ですが、時代劇で描かれるのは、『大岡政談』としての後世(幕末から明治にかけて)の創作が多いと推測できます。

大岡家はもともと三河(愛知県東部)の武将で、松平・徳川氏の家臣。
徳川家康の江戸入封に伴って、相模国高座郡堤村(神奈川県茅ヶ崎市堤)を本貫地としています。

大岡忠相は三河国額田郡西大平1万石(現・愛知県岡崎市大平町/藩庁は西大平陣屋)の大名に取り立てられています。
その大岡忠相が、先祖の故郷である三河国、豊川稲荷から仏教守護の吒枳尼天(だきにてん)を勧請して、屋敷内に創建。
その後、大岡家の下屋敷が赤坂一ツ木に移転となりましたが、やはり邸内に祀られていました。

その御利益と江戸の稲荷信仰ブームから毎月「午の日」と22日には門を開けて、庶民の稲荷への参拝が許可されていたほどです。

文政11年(1828年)には信徒の強い要望で、赤坂一ツ木の大岡邸内に豊川稲荷妙厳寺を創建。
大岡邸の屋敷稲荷は「奥の院」となり、妙源寺は一般信徒に常時門を開けることになったのです。

明治20年に境内が手狭という理由で、現在の寺地に移転しています。

境内は叶稲荷、融通稲荷、弁財天などパワースポットだらけ

町奉行から大名となったのは、江戸時代を通じて大岡忠相のみということもあって、江戸の昔から立身出世の願を掛ける人が数多いのが伝統。
さらに町奉行ということで盗難避け、失し物・失踪人などの霊験で評判となりました。
また、戦後はTBSが赤坂にあることもあって、ジャニーズ事務所所属のタレントをはじめ芸能人の参詣奉納、祈願が多いのも特長。

正月・5月・9月の各22日が『例大祭』。
5月22日に『子宝観音際』、9月22日には『大岡祭』が執り行なわれています。

境内社の叶稲荷は悪縁を断ち切る稲荷。
融通稲荷は10円の融通金を自由に持って返ることができ、1年後(または願が適った時)に利子を付けて返納する仕組み。
銭洗い弁財天、招福利生大黒天、大岡廟など境内には願掛けのスポットが数多いので、細部に渡って足を運びたいところ。

江戸切絵図に見る 赤坂大岡邸

豊川稲荷東京別院 DATA

名称 豊川稲荷東京別院/とよかわいなりとうきょうべついん
Toyokawa Inari Tokyo Betsuin
所在地 東京都港区元赤坂1-4-7
関連HP 豊川稲荷東京別院公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ銀座線・丸の内線赤坂見附駅、有楽町線・半蔵門線・南北線永田町駅から徒歩5分
ドライブで 首都高速3号渋谷線霞ヶ関出口・4号新宿線外苑出口から約2km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ TEL:03-3408-3414
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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作成者: プレスマンユニオン編集部

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