近世最大級の城郭を誇る江戸城ですが、雉子橋門を起点に時計回りに新たに開削した神田川(仙台濠)に至るまで、全長14kmの外濠を巡らせていました。常盤橋門は、江戸城外郭の正門にあたる重要な門で、石垣が現存し、国の史跡となっています。目下日本最高層、高さ390mのビルも建築中です。
奥州道へと通じる玄関口に配された江戸城外郭の正門
[colwrap] [col2]初めて門が築かれたのは家康が采配を振るった慶長年間(1596年〜1615年)のこと。
その後、1629(寛永6)年、奥羽の大名によって桜田門などと同様の枡形門(ますがたもん)に修築されています。
往時には外側に高麗門、内側に渡櫓門を配していました。
現存する石垣はこの枡形門の石垣の一部です。
奥州道へと通じる玄関口で、田安門(上州道)、神田橋門(芝崎口)、半蔵門(甲州道)、外桜田門(小田原口・旧東海道)と並ぶ「江戸五口」のひとつ。
創建当初は外堀の正門であることから「追手口」、また浅草へ通じていることから「浅草口」と呼ばれていました。
改名の上意を受けた町年寄筆頭・奈良屋市右衛門(家康に従って江戸に入り、日本橋本町1丁目に屋敷地を与えられていました)は、寄宿の浪人から「常盤」の名を得て、これを献上しました。
それが採用され、3代将軍・徳川家光が常盤橋門と名付けています。
名の由来は、『金葉和歌集』巻第一の「色かへぬ松によそへて東路の常磐のはしにかかる藤波」(大夫典侍の歌)からとも、松の常盤(ときわ=永久不変なこと、つまり常葉)にかけて徳川(松平)の治世の存続を願ったという説もあって定かでありません。
常盤橋門は、明治6年に破却され、石垣の一部は取り壊されていますが、3分の2の石垣が現存。
江戸城の外郭門の中では最も保存状態がいいので、昭和3年に国の史跡として保存が決まりました。
現存する常磐橋は、明治10年架橋の石造アーチ橋(通称・眼鏡橋)。皿だと割れるので縁起が悪いことから盤ではなく磐の字を使っています。
新しく架橋された車道橋は常盤橋で、交差点名も常盤橋交差点になっています。
常盤橋門跡、常磐橋周辺には、日本銀行本店などもあって、歴史の中でも江戸・東京の中心となっています。
なお周辺では、三菱地所の常盤橋街区再開発プロジェクト(2017年度〜2027年度)が行なわれ、4棟のオフィスビルや変電所施設、下水ポンプ場などが建設される予定。アベノハルカスを上回る日本一の高さのビル(61階建て/高さ390m)が誕生する見込み。
同時に、日本銀行本店前の常盤橋公園を新たに拡大・再整備する予定となっています。
江戸切絵図に見る 常盤橋門
常盤橋門跡 | |
名称 | 常盤橋門跡/ときわばしもんあと |
所在地 | 東京都千代田区大手町2-7 |
電車・バスで | 東京メトロ半蔵門線・銀座線三越前駅から徒歩2分 |
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