江戸城の本丸、二の丸、三の丸部分が現在の皇居東御苑。明治時代に宮殿の造営にあわせて皇居附属庭園として整備されたもので、今も皇居の一部であることに変わりがなく、宮内庁が管理しています。昭和43年に公開され、江戸城の核心部分を散策することが可能です。Kokyo Higashi Gyoen(the East Garden of the Imperial Palace)
入苑門(入城門)は、3ヶ所
皇居東御苑への入苑門は3ヶ所あります。
江戸城に登城する大名の登城ルートでもある、正門からのルートをたどるなら大手門からの入苑がおすすめです。東京駅、東京メトロ二重橋前駅、大手町駅が最寄り駅となります。
本丸に搦手(からめて=裏側)から直接に入城するのが北桔橋門(きたはねばしもん)。往時はその名の通り跳ね橋で、実際の登城に使われることはありませんでした。現在は北の丸側からの入苑口として機能しており、東京メトロ竹橋駅が最寄り駅となっています。
大奥の奥女中や大奥出入りの商人、さらには北の丸周辺に居館を構えた徳川御三卿(清水家・田安家・一橋家)が使った門が平川門で、ここも入苑口のひとつ。ただし、江戸城で重罪を犯した人、死んだ人はここから搬出されるという「不浄門」ともなっていたので、縁起をかつぐ人は、ここからの退出は避けたほうがいいでしょう。
最寄りの駅は東京メトロ竹橋駅になります。
江戸城三の丸
江戸城の正門にあたるのが大手門。大手とは、追手(おうて)のことで、裏側を搦手(からめて)と呼びます。
江戸城の大手門をくぐったところが三の丸ですが、大正8年、宮内省の諸施設を建設する際、桔梗門から天神濠に至る旧二の丸と三の丸の間の濠約3.9haを埋めたため、三の丸と二の丸の境が判然としなくなっています。
同心番所は本来は三の丸側にありましたが、現在では二の丸側に移設されています。
桔梗門(内桜田門)も、桜田巽櫓も三の丸ですが、現在は皇居の一部分となっています。
[kanren postid=”5228,5198,4916,4866,4830″]江戸城二の丸
皇居東御苑を歩くとよく分かるのですが、天守台一体をヒルトップに、本丸がもっとも高台に位置し、二の丸との間には10mほどの段差があります。
これは、自然地形を築城に巧みに活かした名残で、徳川家康の築城当初には、日比谷入江(江戸湾)が目の前に迫っていたのです。
江戸城二の丸には、将軍世子や大御所(隠居した前将軍)などが居住する御殿、大奥があり、1636(寛永13)年に完成した二の丸御殿には、小堀遠州作といわれる庭園がありました。
二の丸は本丸に比べて崖下にあったので、自然の湧水があり、庭園を築くことができたのです。
また、二の丸と本丸の間には、白鳥濠が現存しています。
二の丸と本丸の間は標高差があるため、築城当初には海が見えたという汐見坂、太田道灌の時代に平川天神(現・平河天満宮)が鎮座したという梅林坂が現存しています。
[kanren postid=”5204,5174,5171,5165,5155,4869,4807″]江戸城本丸
江戸城本丸には江戸時代の初期に天守が建っていた天守台の石垣が現存。石垣には度重なる火災による焼痕が残されています。
本丸の表御殿、中奥、大奥があった場所は広大な芝地。
遺構はまったく残されていませんが、『忠臣蔵』に描かれる浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良義央(きらこうずけのすけ)を切りつけた松之大廊下は、その場所に案内板が設置され、記念写真に絶好。
本丸に残される遺構は、天守焼失後に代用天守となった富士見櫓(ふじみやぐら)、本丸の防御を強化するための富士見多聞(ふじみたもん)、そして火災などから宝物などを守った石室の3ヶ所ですので、お見逃しなく。
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名称 | 皇居東御苑/こうきょひがしぎょえん |
所在地 | 東京都千代田区千代田1-1 |
関連HP | 宮内庁公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ丸ノ内線・東西線・千代田線・半蔵門線大手町駅から徒歩5分で大手門。東京メトロ東西線竹橋駅から徒歩5分で平川門、北桔橋門 |
駐車場 | なし/北の丸公園第一駐車場(144台・有料)など周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 宮内庁 TEL:03-3213-1111 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |