寺伝では、771(宝亀2)年、不思議法師と呼ばれる僧が創建という古刹で、836(承和3)年、円仁(慈覚大師)が再興し天台宗となりますが、1618(元和4)年、徳川秀忠の命で真言宗に改宗。日蓮宗になったのは昭和24年のこと。安房国東条郷(現・千葉県鴨川市小湊)で生まれた日蓮が出家得度、立教開宗した地として有名です。
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木更津エリアから離れ、袖ケ浦へやってきました。
この日は夜に東京ドイツ村イルミを見て、そのままアクアライン使って帰る計画。
黄金鯵(黄金アジ)で知られる南房総・金谷。東京湾フェリーの発着する金谷フェリーターミナル近くの国道127号フェリー南入口交差点前にあるグルメ回転寿司が船主総本店(ふなおさそうほんてん)。南房総ナンバーワンの回転寿司で、東京湾の魚を回転寿司で気兼ねなく味わえると好評です。
江戸城の本丸と二の丸、三の丸跡を整備し、昭和43年から一般に公開したのが皇居東御苑。「皇居附属庭園」というのが元来のスタイルで、今も宮内庁の管理です。
江戸城の本丸を守る内濠(内堀)のひとつが三日月濠。明治21年、江戸城西の丸・吹上に明治宮殿で建設され、乾門(いぬいもん)が新造されたことで、乾濠と呼ばれるようにもなりました。三日月濠という名は、その名の通り、三日月のかたちだから。乾濠は、江戸城の戌亥(いぬい=北西)の方向にあるから。
全国有数のマグロの水揚量を誇る三浦半島先端の三崎港(神奈川県三浦市)。そんな三浦市には「海鮮」を謳い文句にした寿司屋や、海鮮丼の店が数多く、寿司屋や海鮮丼の店のクーポンが付いた京浜急行のとくとくきっぷ「みさきまぐろきっぷ」も大人気。そんな激戦区の三浦市で人気の回転寿司が「廻転寿司 海鮮」です。
江戸城桔梗濠に面した門が桔梗門(ききょうもん)で、「桜田門外の変」で井伊直弼(いいなおすけ)が暗殺された外桜田門に対して、内桜田門とも呼ばれています。この門を入ると江戸城三の丸で、大名などの登城は、大手門と内桜田門(桔梗門)と定められていました。現在では皇居一般参観の入城門になっています。
1614(慶長19)年に造られた桔梗門(内桜田門)近くにある江戸城の内濠(内堀)。最初に江戸城を築いた太田道灌の時代に、この近くに道灌が築いた「泊船亭」があった地と伝えられ、道灌の家紋の桔梗紋から桔梗門、桔梗濠という名が付いたと推測できます。築城当初はまだ日比谷入江(江戸湾)に面していた地なのです。
平川門と大手門の間にある江戸城の内濠(内堀)が大手濠(大手堀)。大手とは追手、つまりは玄関(正門)という意味なので、この大手濠のある側が江戸城の正面ということになります。
江戸城・平川門に架かる平川橋を境に西側の内濠(うちぼり)が平川濠(平川堀)、東側は大手濠と呼ばれ、水は平川濠から大手濠に向けて流れています。平川濠は北桔橋門から平川門まで江戸城本丸の北側、三の丸の西側を防備する濠です。平川濠の北側が江戸城・北の丸です。
乾門は江戸城の乾(いぬい=戌亥/北西)の方向にある門の一つですが、実は明治21年、皇宮建設の際に新たに誕生した「明治の門」。坂下門の内側にあった西の丸裏門を移築したものです。新年一般参賀、桜の開花期、秋の紅葉の時期に行なわれる「皇居乾通り一般公開」の際に出入り口として使用されます。
江戸城の西ノ丸吹上庭園から本丸の天守、大奥に通じる要所の門。往時には門ととも通常は跳ね上げていた橋がありましたが、今では固定の小さな橋に変わっています。しかも「皇居乾通り一般公開」の時以外には立ち入ることができません。
江戸城本丸の大奥、天守部分から外部に直接通じる門が北桔橋門(きたはねばしもん)。門の横の内濠(平川濠・三日月濠)は防御力を高めるためにほかよりも深く、石垣は最も堅固になっています。現在では大手門、平川門と同様に、宮内庁が管理する皇居東御苑(江戸城の本丸・二の丸・三の丸)の入城門となっています。
昭和41年2月に音楽好きの香淳皇后(こうじゅんこうごう=昭和天皇の皇后)の還暦記念として建設された200名収容の音楽ホール。キンポウゲ科の「テッセン」の花弁(八弁花)を形どつた屋根と八面体という珍しいフォルムで、江戸城本丸跡、天守台の横に建っています。天守台石垣横に不思議な空間を生み出しています。
皇居東御苑内、二の丸庭園にある風雅な茶室。火災などで焼失後、11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の時に創建されています。かつては吹上御苑(西の丸西側、現在の御所などのある一帯)にありましたが、昭和43年、皇居東御苑の整備の際に移築されました。建物は、明治45年に再建されたもので茶室としての利用はできません。
江戸城本丸跡の西側、本丸休憩所の裏手から登った先、白鳥濠の脇に展望台があります。江戸城は本丸と白鳥濠を隔てた二の丸は標高差が10mほどあります。その標高差を活かして、かつての日比谷入江の海岸段丘のヘリに位置するのが展望台というわけなのです。白鳥濠を見下ろし、大手町や丸ノ内の林立するビル群も眺望します。
皇居東御苑内、大手門近くにあるミュージアム。天皇家から寄贈された絵画・書・工芸品などの美術品類に加え、故秩父宮妃のご遺贈品、香淳皇后のご遺品、故高松宮妃のご遺贈品、三笠宮家のご寄贈品など1万点近くを収蔵。明治以降に日本各地から皇室に献上された様々な工芸品などを企画展によって紹介しています。
赤坂方面から外濠を渡り、赤坂見附(赤坂御門)を入った先の坂道。現在では都道府県会館、赤坂プリンスクラシックハウス前の坂道が諏訪坂。もともと諏訪氏の屋敷のあったことが名の由来です。諏訪氏というのは、諏訪神社上社大祝(おおほうり)を司った家柄で、大名家のほか旗本にもなっていました。