内裏塚古墳群のひとつに数えられる前方後円墳。墳長106m、後円部径52m、前方部幅84mで6世紀の築造と推定されています。周囲を後円部分でで22m、前方部分でで17m幅の濠が巡らされています。調査によってさらに外側にも全長202mの濠があったことが確認されています。周溝を含めた規模では、内裏塚古墳群中最大の古墳です。
6世紀後半の古墳としては東日本最大の規模
[colwrap] [col2][/col2] [col2][/col2] [/colwrap]稲荷山古墳は、6世紀後半の築造と推定され、内裏塚古墳群のなかでは九条塚古墳に次いで築造された古墳です。
墳丘の形状と二重の周濠を保有する点など将軍山古墳(埼玉古墳群/埼玉県行田市)に似ているので、将軍山古墳埋葬者との関係も推測できます。
二重の周濠は農道や畦(あぜ)の形状で確認することができます。
将軍山古墳の石室側壁には、現在の富津市で産出される房州石が用いられています。
このことからも、埼玉古墳群に眠る武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)と内裏塚古墳群を造成した須恵国造(すえのくにのみやつこ)の親密な関係が類推できるのです。
ちなみに柴又八幡神社古墳(東京都葛飾区柴又3丁目)、赤羽台古墳群3号墳(東京都北区赤羽台4丁目/新幹線工事のため北区中央公園内に移築)、法皇塚古墳(千葉県市川市国府台)は房州石が使われており、現在の富津市を拠点とした須恵国造の広大な交流範囲を推測することができます。
平成2年に調査が行なわれ、後円部の東側に横穴式石室が確認されていますが、石室内部の調査は実施されていません。
墳丘裾部には円筒埴輪列があり、家形・動物形・翳(さしば)形などの形象埴輪も確認されています。
6世紀後半の古墳としては東日本最大の規模で、富津市の史跡となっています。
稲荷山古墳 | |
名称 | 稲荷山古墳/いなりやまこふん |
所在地 | 千葉県富津市青木 |
関連HP | 富津公式ホームページ |
電車・バスで | JR青堀駅から徒歩25分 |
問い合わせ | 富津市教育委員会 TEL:0439-80-1340 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |