東京湾の入口、富津岬に整備された千葉県立の公園。明治時代から太平洋戦争まで要塞地帯だったため、一般の立入が禁じられ、その結果、開発の手を免れて緑豊かな半島が残されています。公園全体が南房総国定公園に指定。海岸部は千葉県の指定天然記念物の富津洲海浜植物群落地となっています。
夏は富津公園ジャンボプールが大人気!
[colwrap] [col2][/col2] [col2][/col2] [/colwrap]県立富津公園は、千葉県まちづくり公社が管理し、大池(富津元洲堡塁砲台跡)を中心に、富津水泳場屋内温水プール、富津公園ジャンボプール(7月第3土曜~8月31日営業)、野外劇場、多目的運動広場、テニスコート(富津市観光協会で運営)、キャンプ場(富津市観光協会で運営)などが整備されています。
富津岬の先端には関東の富士見100景に数えられる「明治百年記念展望塔」、大池中央の中の島にはヘリテージング100選の「中の島展望台」という2つの展望台も設置され、富士山の眺望もバツグン。
例年3月30~31日頃と9月12~13日頃には富士山頂に日が沈むダイヤモンド富士を眺めることが可能で「関東の富士見百景」にも選定されています。
富津岬周辺の遠浅の浜は、夏は海水浴客でにぎわいをみせます。
なかでも人気は、県営のジャンボプール。大小いくつものプールがあり、造波や流れるプールなどは家族連れに大好評。
岬の先端と、岬の基部に展望台があって富士を眺望
また岬北側は日本の重要湿地に登録の富津干潟(ふっつひがた/174ha)。前面にアマモ場をもつ干潟で、潮干狩りも楽しむことが可能。
近くの湿地帯にはマガモやカルガモが飛来、海浜植物の群落もあり、富津洲海浜植物群落地として千葉県の天然記念物になっています。
海岸砂丘の発達する半島の南側には九十九里浜などに生育するコウボウムギ、ケカモノハシなどの塩生植物群落が多く、砂浜の北岸にはホソバノハマアカザ、オカヒジキなどの内湾性野生植物が繁茂しています。
富津岬の先端の沖合には第一海堡、第二海堡と呼ばれる人工島があり、「明治百年記念展望塔」から眺めることが可能。
明治から大正にかけて築造された東京湾・首都防衛の拠点です。
半島基部の大池に中央の島にある中の島一帯は、明治17年に築かれた富津元洲堡塁砲台の跡。
築造当時、房総半島側の唯一の堡塁砲台で、平らな砂州上で守備を固めるために、海水を引き入れた内堀に囲まれています。
大池に囲まれた島の中央高台には中の島展望台が建っています。
日露戦争後に、大砲の試射場となり、青堀駅から分かれた軍用鉄道が半島に延びて、日本で唯一の列車砲の試射場としても使われたという数奇な歴史を有しています。
[colwrap] [col2][/col2] [col2][/col2] [/colwrap]日本で唯一の列車砲の発射実験が富津岬で行なわれました
大正15年、要塞砲(海岸砲)開発計画の一環として、射程距離が20kmにも及ぶ四一糎榴弾砲(よんじゅういちせんちりゅうだんほう)を現在の「富津岬荘」あたりにあった陸軍技術本部富津射場に設置。
着弾地点には中根着弾観測所(篠部)、磯根着弾観測所(小久保)、洞口着弾観測所(竹岡)が置かれていました。
ただし、ワシントン海軍軍縮条約(大正11年2月6日)で、海軍の保有艦船に制限が加えられたため、艦砲を転用することとなり、開発計画は中止となっています。
大正13年、房総西線(現・内房線)・青堀駅から引込み線が引かれ、列車砲の研究も始まります。
昭和4年3月、二四糎列車加農砲(フランス/シュナイダー社製)がマルセイユから船で横浜に運ばれ、引き込み線で富津に格納されて、日本で唯一の列車砲の試射場となったのです。
広大な満州での実戦を想定し、富津で秘密裏に実験を行なっていました。
昭和4年3月から年末まで発射実験が行なわれましたが、最大射程は50kmにも及び、戦艦大和の主砲(最大射程42km)を凌いで日本軍の火砲としては最長の射程距離を有していました。
青堀小学校の裏手の道路、「どんぐりの小径」はこの軍用線路の廃線跡です。
列車砲の基地は現在のジャンボプール付近にありました。
千葉県立富津公園 | |
名称 | 千葉県立富津公園/ちばけんりつふっつこうえん |
所在地 | 千葉県富津市富津2282 |
関連HP | 千葉県立富津公園公式ホームページ |
電車・バスで | JR青堀駅から日東交通バス富津公園行きで12分、終点下車、すぐ |
ドライブで | 館山自動車道木更津南ICから約12km |
駐車場 | 547台/無料 |
問い合わせ | 富津公園管理事務所 TEL:0439-87-8887 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |