遠浅で知られる富津市の大貫中央海水浴場ですが、大貫海岸では防潮堤の海側の浜をハマヒルガオが這うように群生。例年ゴールデンウィーク頃に見頃を迎え、6月頃まで花見が楽しめます。晴れた日には富士山とハマヒルガオの競演も。
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館山市神戸(かんべ)地区に鎮座する古社。古代に忌部氏(いんべうじ、斎部氏)の創建と伝わる安房国(あわのくに)開闢(かいびゃく)の歴史を秘める神社です。安房神社祭神の天太玉命(あめのふとだまのみこと=阿波から移住し安房を開いたと伝わる忌部一族の祖神)の后神(きさきがみ)・天比理乃咩命 (あまのひりのめのみこと)が祭神。
源頼朝が石橋山の戦いに破れ、命からがら手勢を引き連れて房総半島へと逃れますが、その時上陸した地点には諸説あり定かでありません。そのなかで最有力で、千葉県も「源頼朝上陸地」と認定するのが鋸南町竜島です。上陸した地と推測される海岸には「県指定史跡源頼朝上陸地」が立っています。
南房総の名峰、富山(とみさん)の西山服にある伝説の岩窟。滝沢馬琴(たきざわばきん=曲亭馬琴)の『南総里見八犬伝』では、里見義実(さとみよしざね)の娘の伏姫(ふせひめ)と愛犬八房(やつふさ)が富山に籠って暮らすという設定ですが、伝説では伏姫と八房が暮らしたのがこの伏姫籠窟だということに・・・。
古代に阿波国(あわのくに=現在の徳島県)から渡ってきた忌部氏(いんべうじ)が創建と伝わる古社で、安房国の一之宮。主祭神は忌部氏の祖神、天太玉命 (あめのふとだまのみこと)。創建時は布良浜(現在の布良崎神社)に鎮座していましたが、717(養老元)年、現在の社地に遷座しています。
1180(治承4)年、伊豆で以仁王(もちひとおう=後白河天皇の第三皇子)の令旨を奉じて平家打倒の兵を挙げた源頼朝でしたが、相州石橋山の合戦(神奈川県小田原市)で大敗。箱根山から真鶴半島へ逃れ、船を仕立てて真鶴岬の岩の浦(当時は真名鶴岬)から安房へと落ちのびる。安房での上陸地とされるのが館山市、洲崎にある矢尻の井戸。
房総半島西の突端、浦賀水道に突き出したのが洲崎(すのさき)の岬。そんな岬に鎮座する洲崎神社の祭神は、天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)。安房神社(あわじんじゃ)祭神の天太玉命(あめのふとだまのみこと=阿波から移住し安房を開いたと伝わる忌部一族の祖神)の后神(きさきがみ)です。
洞穴やトンネルの水たまりに群生し、顕微鏡でなければ観察できない鞭毛藻類のヒカリモ。そのヒカリモが日本で最初に発見されたのが富津市竹岡の発生地で、「竹岡のヒカリモ発生地」の名称で国の天然記念物に指定されています。
天富命(あめのとみのみこと)が阿波(あわ=現在の徳島県)の忌部一族(いんべいちぞく=古代朝廷における祭祀を担った氏族)を率いて南房総に上陸、安房(あわ)を開いたという伝説がありますが、天富命が上陸したと伝わる地が、館山市布良(めら)の阿由戸の浜。布良の里人達は、天富命の徳を慕い、祭神として建立したのが布良崎神社とか。
南房総にある登山に人気の双耳峰で、県立富山自然公園の中心。その名は阿波(あわ=徳島県)の忌部(いんべ)族を率いて南房総(安房=あわ)に上陸、開拓したといわれる天富命(あめのとみのみこと)に由来し(天富山が富山に転訛)、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』の舞台にもなった名峰です。
南房総にある標高336.3m(北峰)の秀麗な双耳峰。千葉県内で唯一山名に「岳」が付きますが、その名に恥じず千葉県では珍しい岩峰となっています。伊予国(愛媛県)の石鎚山(いしづちさん=伊予の大岳)に、山容が似ていることが名の由来とか。房総の山好きからは「房総のマッターホルン」とも呼ばれています。
房総半島最西端の洲崎にある大正8年初点灯の灯台。対岸の三浦半島にある剱埼灯台(つるぎざきとうだい)とともに東京湾を出入りする船を守っています。見学できる参観灯台ではありませんが晴れた日には、三浦半島、富士山、伊豆大島を眺望(眺望案内看板も設置されています)。
富津市竹岡地区を走る国道127号で、国道より山側に並走する旧道にあるのが旧城山隧道(燈籠坂大師切通しトンネル)。鋸山山上にある金谷石の採石場のような雰囲気のトンネルで、現在では脇にある燈籠坂大師(とうろうざかだいし=東善寺の飛地境内地/入口に鳥居があるが寺である)の参道的な生活道路の一部となっています。
南房総白浜を流れる長尾川を流れる石造アーチ橋。関東地方では唯一の3連の石造アーチ橋で、3連ですが、川面に映る姿から「めがね橋」と通称されています。明治21年の架橋で、材料となった石は資金不足のため、長尾川河口のみずるめの岩場から採掘しています。土木学会選奨土木遺産、千葉県の有形文化財に指定。
白浜城は房総半島最南端、野島埼灯台の北1kmほどの丘陵に位置する中世の山城。戦国時代に安房(あわ)を領有した里見氏の祖・里見義実(さとみよしざね)が安房に進出し、最初の拠点としたのが白浜城です。御賓頭廬(おびんづる)尊者像のある青木観音堂の脇から、整備された城山巡視道(じょうやまじゅんしみち)が通じています。
安房グリーンライン白浜トンネル北入口の路側にある地層の露呈。平成22年4月に開通した安房グリーンラインの工事により発見されたもの。第三紀鮮新世から第四紀更新世(およそ400万年前~100万年前)に堆積した千倉層群・畑層の砂岩泥岩の層で、200万年前に起きた大地震によって液状化し、「海底地すべり」を起こして堆積したもの。
赤山地下壕跡
千葉県館山市にある館山海軍航空隊の地下壕。総延長約1.6kmの地下壕(トンネル)で、太平洋戦争末期の昭和19年頃から建設が始まったと推定されています(建設年代は太平洋戦争開戦以前とする説もあり定かでありません)。受付は、入口に位置する「豊津ホール」で行ない、ヘルメットを借りて入壕する仕組み。
718(養老2)年5月2日、能登国(のとのくに)と同時に設置されたのが安房国(あわのくに)。元八幡神社は安房国の総社として国司が赴任した国庁近くに創建された古社です。鎌倉時代に総社としての機能が衰微し、源氏の影響で武神である八幡神信仰が高まったため、総社から八幡宮となり、遷座して鶴谷八幡宮となっています。