1180(治承4)年、伊豆で以仁王(もちひとおう=後白河天皇の第三皇子)の令旨を奉じて平家打倒の兵を挙げた源頼朝でしたが、相州石橋山の合戦(神奈川県小田原市)で大敗。箱根山から真鶴半島へ逃れ、船を仕立てて真鶴岬の岩の浦(当時は真名鶴岬)から安房へと落ちのびる。安房での上陸地とされるのが館山市、洲崎にある矢尻の井戸。
『義経記』、『源平盛衰記』には頼朝は洲崎に上陸と記述!
矢尻の井戸は、上陸した頼朝が飲み水がないため、岩間に矢尻を突き立てたところ清水が湧いたという伝説の場所。
源頼朝がわずかな供を連れて真鶴を発ち、戸肥実平の案内で海を渡って上陸したのが現在の鋸南町竜島というのが定説。
鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に「翌日平北郡猟島に着く」と記されているのがその根拠で、目下の最有力候補はそちら。
ところが『義経記』(ぎけいき=南北朝時代から室町時代初期に成立)では、前夜に安房に漂着し、洲崎で夜を明かし、小湊の渡しで那古観音に拝観してから猟島(竜島)に着いたと記されているのです。
『義経記』に記載の内容
折節風激しくて、岬へ船を寄せかねて、二十八日の夕暮に安房國洲の崎といふところに御船を馳あげて、瀧口の大明神明けくれば洲の崎を立ちて・・・
『源平盛衰記』に記載の内容
漕げや、急げ、とて安房國洲崎を志して落ち行きける程に、飢を休めて、その後風やみ波静かにて、船を出して安房國洲崎へこそ漕ぎ渡り給ひけれ
折節風激しくて、岬へ船を寄せかねて、二十八日の夕暮に安房國洲の崎といふところに御船を馳あげて、瀧口の大明神明けくれば洲の崎を立ちて・・・
『源平盛衰記』に記載の内容
漕げや、急げ、とて安房國洲崎を志して落ち行きける程に、飢を休めて、その後風やみ波静かにて、船を出して安房國洲崎へこそ漕ぎ渡り給ひけれ
上陸地は臥島ですが、竜島の別名も!
安房上陸は旧暦の8月29日、そして9月5日には近くにある洲崎神社で源氏再興を祈願していますから、前夜に洲崎上陸説もあながち後世の創作ともいえないわけなのです。
上陸地は臥島(がじま)で、臥竜島(がりゅうじま)、竜島の別名もあるのだとか。
また洲崎には、頼朝の上陸を助けた漁師に平島の名字を与えたという話、頼朝に鍋の穴を綿で塞いで食事を供して「綿鍋」の姓をもらったという伝説も残されています。
矢尻の井戸(源頼朝安房上陸伝承地) | |
名称 | 矢尻の井戸(源頼朝安房上陸伝承地)/やじりのいど(みなもとのよりともあわじょうりくでんしょうち) |
所在地 | 千葉県館山市洲崎 |
関連HP | 館山市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR館山駅からJRバス洲崎方面行きで矢尻の井戸前下車 |
ドライブで | 富浦館山道路富山ICから約15.5km |
駐車場 | 3台/無料 |
問い合わせ | 館山市商工観光課 TEL:0470-22-3346/FAX:0470-24-2404 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |