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上野恩賜公園

総面積は53haにわたる広大な上野恩賜公園。江戸時代までは徳川家の菩提寺、東叡山寛永寺の境内で、多くの堂塔、塔頭が建ち並んでいた境内でした。不忍池に弁天堂や、上野動物園の中に五重塔があるのもそのため。明治6年に日本初の都市公園に指定。日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選、日本の都市公園100選に選定。

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河竹黙阿弥住居跡

河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)は、幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者。浅草観音境内の正智院地内に居を構えてからの約40年間を創作活動に費やしました。明治の文豪坪内逍遥は、河竹黙阿弥を「日本のシェークスピア」と讃えています。浅草・仲見世の仲見世会館入口脇に「河竹黙阿弥翁住居跡之碑」が立っています。

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護国寺

東京都文京区大塚5丁目にある真言宗豊山派の大本山が護国寺。正式名は神齢山悉地院大聖護国寺。天和元年(1681年)、5代将軍・徳川綱吉は江戸城三の丸に暮らす生母、桂昌院(3代将軍・徳川家光の側室)の願いから、桂昌院の祈願寺として護国寺の建立を命じ、創建。本尊は桂昌院念持仏の琥珀如意輪観音(秘仏)。

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武山不動

標高200mの武山の山頂の一角にある武山不動。浄土宗の寺で、正式名称は龍塚山(りゅうちょうざん)不動院持経寺。江戸時代には浦賀水道を通る船の目印にもなり、地元の漁師はこの山がどこに見えるかで漁場の位置を確認したことから「浪切不動」とも呼ばれています。

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伝通院

東京都文京区小石川の高台にある寺で、正式名は無量山傳通院寿経寺(むりょうざんでんづういんじゅきょうじ)ですが、一般に小石川の伝通院(でんづういん)と呼ばれています。伝通院という寺の院号は、徳川家康の生母・於大の方の法名「伝通院殿」にちなんだもので、徳川家康は母の遺骨を、三河国の安楽寺(現・蒲郡市)から移しています。

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アイスクリーム発祥の地

日米修好通商条約の批准書交換のために万延元年(1860年)、遣米使節がアメリカに派遣されましたが、その時随行した咸臨丸に乗船の町田房蔵が、再度渡米し、明治2年6月に横浜の馬車道通りに開いた「氷水屋」で販売した「あいすくりん」がアイスクリームの事始め。馬車道にはアイスクリーム発祥の地のモニュメントが立っています。

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新聞誕生の地

横浜中華街の一画、横浜中華学院脇を通る関帝廟通り沿いに立つのが「日本における新聞誕生の地」碑。この場所で元治元年(1864年)6月28日、ジョセフ・ヒコ(ジョセフ彦=浜田彦蔵)が、外国新聞を翻訳編集し、日本初の邦字新聞『海外新聞』を発刊しています。

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日米和親条約締結の地

嘉永7年3月3日(1854年3月31日)に江戸幕府とアメリカ合衆国が横浜村(現・横浜市)の海岸近くで日米和親条約を締結しました。その歴史的な場所が、現在の大桟橋通りが海岸に出るところ、大さん橋ふ頭の付け根に園地として残され、横浜開港資料館前の園地に「日米和親条約締結の地」碑が立っています。

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近代のパン発祥の地

日本のパン文化は、安土桃山時代にポルトガルの宣教師によって日本に伝来。だからブレッドではなく、ポルトガル語のパン(pão)に由来する言葉に。しかし、開国以降の近代では、横浜の居留地で文久元年(1861年)に「お貸長屋」(現在の横浜開港資料館周辺)で内海兵吉が和風パン屋「富田屋」を開業したのが日本のパンのはじめて物語。

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京浜急行発祥の地

京浜急行電鉄は、明治31年2月25日に設立した大師電気鉄道株式会社が前身。明治32年1月21日、大師電気鉄道は、川崎駅(後の六郷橋駅)〜大師駅(現・川崎大師駅)間 (2.0km) を開業。これが現在の京急大師線です。川崎大師駅には「京浜急行発祥の地」碑が立っています。

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新港橋梁

経済産業省の近代化産業遺産に認定される赤レンガ倉庫、50t起重機(ハンマーヘッドクレーン)のある新港ふ頭地区と、象の鼻パークを結ぶ「山下臨港線プロムナード」途中にあるかつてここを走った鉄道、臨港線(税関線)の新港橋梁。遊歩道「山下臨港線プロムナード」の橋として余生を送っています。横浜市の歴史的建造物に認定。

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日本丸メモリアルパーク

昭和5年に運輸省航海練習所の元練習船として進水し、数々の遠洋航海に出た日本丸。昭和59年に練習船としての役目を終え、横浜に永久的に錨を下ろしました。その帆船日本丸が係留保存されるのが横浜みなとみらい21地区にある日本丸メモリアルパーク。日本丸と展示ドックは国の重要文化財に指定されています。

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江戸城 坂下門

坂下門は江戸城西の丸造営直後に築かれた門が坂下門。江戸時代には西の丸大奥に近く、西丸の通用門として利用されていました。現在、西の丸は皇居となっているため、宮内庁の管理で、通常は立ち入ることができません。文久2年1月15日(1862年2月13日)、老中・安藤信正がこの門外で水戸浪士に襲われた「坂下門外の変」は有名。

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両国国技館

明治42年、両国の回向院(えこういん)境内に建てられたのが国技館のはじまり。江戸時代に勧進相撲が回向院で行なわれたのが由来で、その後、昭和33年に日大が買収し、昭和57年まで日本大学講堂として使われていました。現在の両国国技館は、国鉄バス駐泊場(旧両国貨物駅跡地)に建設され、昭和60年の1月場所から使われる2代目。

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入谷鬼子母神(真源寺)

「恐れ入谷(いりや)の鬼子母神(きしもじん)。びっくり下谷の広徳寺。そうで有馬の水天宮」というのは江戸っ子の洒落。入谷は山手線鶯谷界隈の地名。恐れ入るということを洒落て、入谷の真源寺に祀られる鬼子母神を掛けたものです。境内と門前で7月に開かれる『朝顔市』は、東京の夏の風物詩。「下谷七福神」の福禄寿を祀っています。

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第六台場

ペリーの浦賀来航に伴って、江川太郎左衛門が江戸湾周辺を調査し、幕府の予算不足から品川沖のみに突貫工事で建設が始まった台場群。1854(嘉永7)年4月には第一台場〜第三台場が完成しています。12月に第五台場・第六台場が完成しています。周囲を海に囲まれた第六台場は、残念ながら上陸が禁止されています。

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台場公園 第三台場

レインボーブリッジの足元に広がる台場公園。お台場エリアにある東京都建設局が管理する公園ですが、公園内にある第三台場は、江戸時代に外国船を警備するために作られた海上砲台の跡でいわばお台場のルーツ。1854(安政元)年に竣工した台場で、往時は海上にありましたが埋め立てられて陸続きになり、昭和3年に公園として開放されたもの。

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根津神社

東京都文京区根津にある根津神社(ねづじんじゃ)は、社伝によれば日本武尊(やまとたけるのみこと)創建伝承の残る古社。江戸の神社建築としては最大規模という社殿群は国の重要文化財に指定され、江戸時代からツツジの名所として有名。ツツジの見頃は例年4月中旬頃〜5月上旬です。東京十社めぐりの一社にもなっています。

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