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清澄庭園

三菱財閥の祖・岩崎弥太郎の命により、明治13年に完成した池泉回遊式庭園。もとは下総国関宿の城主・久世家の荒廃した下屋敷だった場所を蘇らせ、賓客の接待や社員の慰安所として使用した。造園に大変な関心を寄せていた弥太郎は、こよなく石を愛したことで知られ、ここにもたくさんの銘石が集められています。東京都の名勝に指定。

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六義園

5代将軍・徳川綱吉の信頼を得て側用人(そばようにん)となった柳沢吉保の別荘として、1695(元禄8)年に造園された大名庭園。敷地面積約8万7000平方メートルを誇り、江戸初期を代表する池泉回遊式庭園には、将軍・綱吉も数十回、訪れたと伝えられています。春の枝垂れ桜、秋の紅葉時期にはライトアップ、夜間入園も実施。

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小石川後楽園

徳川御三家のひとつ、水戸藩初代藩主・徳川頼房が江戸上屋敷の庭園として造園を指示、水戸黄門で知られる2代藩主・徳川光圀が完成した、江戸初期の代表作的庭園。東京に残る江戸時代初期の大名庭園は、小石川後楽園と、旧芝離宮恩賜庭園のみ。浜離宮恩賜庭園同様に国の特別史跡と特別名勝の指定を受けている全国的にも希少な庭園です。

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浜離宮恩賜庭園

江戸時代、将軍家の別邸、浜御殿が建てられ、6代将軍・徳川家宣(とくがわいえのぶ)が造園を完成させた大名庭園。明治維新後は皇室の離宮となり、浜離宮と呼ばれるように。戦後、都の公園として移管。入口近くの将軍・家宣の大改修を記念して植栽された「三百年の松」は、低く大きく張り出された枝振りから歴史の重みが感じられます。

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銀座4丁目交差点

銀座は1丁目から8丁目までありますがその中心が4丁目交差点で、銀座通り(中央通り=旧東海道)と晴海通りの交差点。商業地として日本一地価の高い場所にもなっています。銀座通りは江戸時代以来のメインストリートで、銀座4丁目交差点は、銀座5丁目側が尾張町で江戸時代には尾張町四ツ辻と呼ばれていました。

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旧芝離宮恩賜庭園

1678(延宝6)年、佐倉藩主で老中・大久保忠朝(おおくぼただとも)が4代将軍・徳川家綱から拝領した大名庭園「楽壽園」が前身となるのが旧芝離宮恩賜庭園(きゅうしばりきゅうおんしていえん)。往時には江戸湾に面し、海の水を庭園に引き込む潮入の庭園でした。ビルに囲まれた現在は、都立公園として庭園観賞を楽しむことが可能です。

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【待ち合わせ場所/銀座】 和光本店

銀座の待ち合わせ場所といえば候補はいろいろありますが、もっともハイカラで、ハイソで、銀座らしい場所といえば、和光本店。日本建築士会連合会の「東京都のランドマーク」にも認定で、まさに、東京の待ち合わせ場所の筆頭。しかも和光本店の建つ銀座4丁目界隈は、地価日本一の場所です。

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「日本考古学発祥の地」碑

1日9万人以上の乗降客を誇るJR大森駅は、日本で最初の鉄道が新橋〜横浜間に開業した4年後の明治9年6月12日。その翌年、横浜から新橋へ移動途中の汽車の車窓からモースが貝塚を発見。これが日本の考古学発祥となったため、モースが発掘調査のために降り立った大森駅のホームに「日本考古学発祥の地」碑が立っているのです。

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大森貝塚(大森貝塚遺跡庭園)

日本で初めて考古学としての科学的調査が行なわれた遺跡といわれる大森貝塚。明治10年、新橋へ向かう汽車の窓から、アメリカ人動物学者のE.S.モース博士が、貝殻の堆積している場所を発見。まもなく調査が行なわれ、これが日本の近代的考古学の出発点となったとか。品川区内の遺跡一帯が大森貝塚遺跡庭園(国の史跡)です。

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大森貝墟の碑(史跡大森貝塚)

大森貝塚といわれる場所は品川区(大森貝塚遺跡庭園)と、大田区の京浜東北線線路横の2ヶ所あります。大田区側には「大森貝墟」(おおもりかいきょ)の碑が立てられています。

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「千葉・富津 東京湾フェリーと志駒もみじロード」

[aside type=”normal”] この記事は「じぶん日記」から寄稿していただきました。
元記事はコチラ ▶ 「千葉・富津 東京湾フェリーと志駒もみじロード」 : じぶん日記 [/aside]

良いお天気で、東京湾から富士山が見えました!

昨年から船旅にお誘いを受けることが多くなり、今年もいくつかの船旅が計画されています。
12月初頭の千葉までの船旅をレポートしていきますよ。

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和光本館

日本の一等地、銀座4丁目の交差点にそびえる和光本館。銀座に特別な建築美と高級感を漂わせ、銀座の「ハイカラ感」を演出するシンボル的な存在になっています。というわけで、日本建築士会連合会の「東京都のランドマーク」にも認定されているのです。

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広重の浮世絵に見る 彦根藩井伊家上屋敷

幕末の大事件、一気に明治維新への流れとなった有名な桜田門外の変は、多くの映画化、ドラマ化がされていますが、殺害された井伊直弼(いいなおすけ)が住んでいたのが彦根藩井伊家上屋敷。門前には桜の井、柳の井という有名な井戸もあって、広重などの錦絵にも数多く描かれています。

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日本国道路元標

東京にはいろいろな原点、元標がありますが、日本橋の橋の上にあるのが日本国道路元標(Kilometer Zero)。その名の通り、道路の起点となるポイントを示したものです。日本橋にあるのは、徳川幕府が定めた五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の起点を明治政府が踏襲したもの。

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ゴジラ像(日比谷シャンテ・合歓の広場)

日比谷の東宝日比谷ビル(「日比谷シャンテ」)北側敷地内の「合歓の広場」に置かれたゴジラ像。東宝スターの手形が貼られていることから、「スターの手形広場」とも呼ばれていますが、ゴジラ生誕40週年を記念して制作されたゴジラ像が印象的です。

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東京最初の街路樹(市内最初の並木)

街路樹の歴史は遠く奈良時代まで遡ります。759(天平宝字3)年、太政官符が発せられ、畿道七道に果樹並木が植栽されました。東京で最初の並木は、明治7年、近代的街路樹として銀座通りにクロマツ、桜が、そして内堀通りにニセアカシアが植栽されました。とくに外来種が植えられた内堀通りは「市内最初の並木」として石碑も残されています。

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国会前庭・北庭(彦根藩井伊家上屋敷跡)

NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の主人公・井伊直虎は、徳川四天王で、初代彦根藩主・井伊直政(虎松)の養母。1632(寛永9)年、2代藩主・井伊直孝は、3代将軍・徳川家光の後見役となり、熊本藩・加藤家の屋敷だった地を江戸上屋敷としています。これが現在の国会前庭・北庭、憲政記念会館一帯です。

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江戸城を楽しむ 3×3

東京周辺に住む人でも江戸城に行ったことがある人、江戸城をじっくり見たことがある人は少ないかと。江戸城は、西の丸部分がいわゆる皇居で、皇居一般参観の許可(インターネット申請も可能)が必要。天守台跡があるのが皇居東御苑、さらには北の丸(北の丸公園)に皇居外苑とかなり広大。そこで、見学のポイントとなる江戸城の3×3をご紹介!

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