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寛永寺根本中堂

西の比叡山に対し、東国の天台宗の拠点ということで東叡山と名付けられたのが上野の山の寛永寺。寛永2年(1625年)、慈眼大師・天海大僧正の創建で、その中心となる堂宇が元禄11年(1698年)建立の根本中堂です。往時には今の上野公園の大噴水の地に建っていましたが、幕末の上野戦争で焼失。現在地に移転再建されています。

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山下公園通り

日米修好通商条約(安政五ヶ国条約)により、安政6年6月2日(1859年7月1日)に横浜港が開港すると、現在の日本大通りの西側に居留地が設けられますが、その海岸沿いの道がBUND(海岸通り)。関東大震災後に海岸は瓦礫で埋め立てられ、跡地が公園となって山下公園通りが生まれました。「日本の道百選」にも選定されています。

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豊川稲荷東京別院

東京都港区元赤坂にある曹洞宗の寺、豊川稲荷東京別院。愛知県豊川市にある有名な豊川稲荷の東京別院です。豊川稲荷は神社ではなく、豊川稲荷妙厳寺という寺で、東京別院はその唯一の直轄寺院。もともと時代劇の『大岡越前』で知られる大岡忠相(おおおかただすけ)の江戸屋敷の邸内にあった屋敷稲荷がルーツです。

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善福寺

東京都港区元麻布1丁目にある浄土真宗本願寺派の寺、麻布山善福寺。背後は高台となった元麻布の高級住宅街、大使館街。寺伝によれば天長元年(824年)に空海(弘法大師)創建といい、都内では、浅草寺、深大寺に次ぐ古刹。越後国国府(現、新潟県上越市)に配流になっていた親鸞が、鎌倉時代に浄土真宗に改宗したと伝えられています。

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日本大通り

横浜開港にあたり、吉田屋新田(現在の横浜スタジアム、横浜公園一帯)に外国人と日本人の両方が使えるという港崎遊郭を設置しましたが、その遊郭街が慶応2年10月20日(1866年11月26日)火事で焼失。防火対策として英国人R.H.ブラントンの設計によりその跡地が公園となり、明治10年、日本大通りが誕生しました。

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岩亀楼の石灯籠(横浜公園)

横浜スタジアムのある横浜公園一帯は、幕末までは横浜村の海岸部で、安政3年(1856年)に埋め立てられた太田屋新田で陸に。その後、開港とともにさらに埋め立てられて港崎町(みよざきちょう)となり、その一画に港崎遊郭がつくられました。岩亀楼の石灯籠は、とくに豪華だった岩亀楼に置かれた石灯籠で、開国期の貴重な歴史遺産のひとつ。

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近代街路樹発祥の地

慶応3年(1867年)、開港場となった横浜の馬車道では、沿道の各商店が競って柳と松を植栽。日本での近代的な街路樹の先駆となり、明治5年、日本最初のガス灯導入で、さらに美しい街路となります。関内駅近くの馬車道広場には「近代街路樹発祥之地」の記念碑が建てられています。

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横浜公園

横浜市内では山手公園の次に古い西洋式公園が横浜スタジアムがある横浜公園。実は、ここが日本人に開放された日本初の公園。しかも日本初の野球の国際試合が行なわれた公園にもなっています。文化庁の登録記念物で、「旧居留地を源として各地に普及した近代娯楽産業発展の歩みを物語る」として経済産業省の近代化産業遺産群に登録。

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日本最初のガス灯

横浜の馬車道にあるのが「日本最初のガス灯」記念碑と復刻されたガス灯。「横浜の父」ともいわれ、易によって運勢・吉凶などを判断する高島易断(たかしまえきだん)としても知られる高島嘉右衛門(たかしまかえもん)が、明治5年9月29日に馬車道、本町通りなどにガス灯を設置しました。これが日本初のガス灯です。

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上野恩賜公園

総面積は53haにわたる広大な上野恩賜公園。江戸時代までは徳川家の菩提寺、東叡山寛永寺の境内で、多くの堂塔、塔頭が建ち並んでいた境内でした。不忍池に弁天堂や、上野動物園の中に五重塔があるのもそのため。明治6年に日本初の都市公園に指定。日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選、日本の都市公園100選に選定。

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河竹黙阿弥住居跡

河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)は、幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者。浅草観音境内の正智院地内に居を構えてからの約40年間を創作活動に費やしました。明治の文豪坪内逍遥は、河竹黙阿弥を「日本のシェークスピア」と讃えています。浅草・仲見世の仲見世会館入口脇に「河竹黙阿弥翁住居跡之碑」が立っています。

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護国寺

東京都文京区大塚5丁目にある真言宗豊山派の大本山が護国寺。正式名は神齢山悉地院大聖護国寺。天和元年(1681年)、5代将軍・徳川綱吉は江戸城三の丸に暮らす生母、桂昌院(3代将軍・徳川家光の側室)の願いから、桂昌院の祈願寺として護国寺の建立を命じ、創建。本尊は桂昌院念持仏の琥珀如意輪観音(秘仏)。

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武山不動

標高200mの武山の山頂の一角にある武山不動。浄土宗の寺で、正式名称は龍塚山(りゅうちょうざん)不動院持経寺。江戸時代には浦賀水道を通る船の目印にもなり、地元の漁師はこの山がどこに見えるかで漁場の位置を確認したことから「浪切不動」とも呼ばれています。

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伝通院

東京都文京区小石川の高台にある寺で、正式名は無量山傳通院寿経寺(むりょうざんでんづういんじゅきょうじ)ですが、一般に小石川の伝通院(でんづういん)と呼ばれています。伝通院という寺の院号は、徳川家康の生母・於大の方の法名「伝通院殿」にちなんだもので、徳川家康は母の遺骨を、三河国の安楽寺(現・蒲郡市)から移しています。

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アイスクリーム発祥の地

日米修好通商条約の批准書交換のために万延元年(1860年)、遣米使節がアメリカに派遣されましたが、その時随行した咸臨丸に乗船の町田房蔵が、再度渡米し、明治2年6月に横浜の馬車道通りに開いた「氷水屋」で販売した「あいすくりん」がアイスクリームの事始め。馬車道にはアイスクリーム発祥の地のモニュメントが立っています。

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新聞誕生の地

横浜中華街の一画、横浜中華学院脇を通る関帝廟通り沿いに立つのが「日本における新聞誕生の地」碑。この場所で元治元年(1864年)6月28日、ジョセフ・ヒコ(ジョセフ彦=浜田彦蔵)が、外国新聞を翻訳編集し、日本初の邦字新聞『海外新聞』を発刊しています。

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日米和親条約締結の地

嘉永7年3月3日(1854年3月31日)に江戸幕府とアメリカ合衆国が横浜村(現・横浜市)の海岸近くで日米和親条約を締結しました。その歴史的な場所が、現在の大桟橋通りが海岸に出るところ、大さん橋ふ頭の付け根に園地として残され、横浜開港資料館前の園地に「日米和親条約締結の地」碑が立っています。

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近代のパン発祥の地

日本のパン文化は、安土桃山時代にポルトガルの宣教師によって日本に伝来。だからブレッドではなく、ポルトガル語のパン(pão)に由来する言葉に。しかし、開国以降の近代では、横浜の居留地で文久元年(1861年)に「お貸長屋」(現在の横浜開港資料館周辺)で内海兵吉が和風パン屋「富田屋」を開業したのが日本のパンのはじめて物語。

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