日本丸メモリアルパーク脇から、新港地区にある横浜ワールドポーターズまでの海上を歩く歩行者専用道が汽車道(きしゃみち)。かつての横浜臨港線の廃線跡で、みなとみらい21地区のホテル群や大観覧車を目に、のんびり歩けるプロムナードになっていいます。足元には、明治時代のトラス橋の遺構が3つ連続しています。
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汽車道に3つ連続するかつての鉄道橋のうち、旧横浜駅(現・桜木町駅側)から3番目にあり、もっとも小さな橋が港三号橋梁。明治39年に架設された北海道炭礦鉄道夕張線の夕張川橋梁の100フィート鈑桁橋(鋼ワーレントラス橋)で昭和3年、横浜生糸検査所引込線の大岡橋梁として転用されたもの。
明治32年に始まった横浜港の新港埠頭の造成にともない明治44年に開通した横浜臨港線の2つ目の橋梁が港二号橋梁。現在は歩行者専用の汽車道の一部として保存されています。港一号橋梁と同様に、明治40年にアメリカン・ブリッジ社で製作され、明治42年に鉄道院によって架橋されたもの。
明治44年に開通した初代横浜駅(桜木町駅)と新港埠頭を結ぶ臨港線に架橋された橋。現在は汽車道の遊歩道、人道橋として余生を送っています。1907年(明治40年)に、港二号橋梁とともにアメリカン・ブリッジで製作された30フィートの鈑桁橋2連と100フィートのトラス橋からなる鋼トラス橋で、明治42年に当時の鉄道院が架橋。
横浜市内では山手公園の次に古い西洋式公園が横浜スタジアムがある横浜公園。実は、ここが日本人に開放された日本初の公園。しかも日本初の野球の国際試合が行なわれた公園にもなっています。文化庁の登録記念物で、「旧居留地を源として各地に普及した近代娯楽産業発展の歩みを物語る」として経済産業省の近代化産業遺産群に登録。
横浜開港50周年を記念し、市民の寄付金により大正6年に創建された横浜市開港記念会館(中区公会堂)。本来は横浜市の公会堂で、大正7年に竣工した大阪中之島公会堂とともに大正期に建てられた2大公会堂建築といわれています。平成29年7月1日で100周年という歴史ある建物で国の重要文化財で、横浜三塔のひとつ。
横浜市街、関内地区のほぼ中央、新港橋の南詰に位置する横浜税関。アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと修好通商条約(安政の5ヶ国条約)を締結した翌年、1859(安政6)年の横浜開港と同時に「神奈川運上所」(後に「横浜運上所」と改称)を開設したのが前身です。横浜三塔のひとつ「クイーン」。
山下公園に係留されたかつての客船・氷川丸は、昭和5年、新造貨客船としてシアトル航路に就航、太平洋を254回横断し「太平洋の女王」との別名もある歴史ある船。喜劇王チャップリンなど、多彩な船客の足として活躍した船は国の重要文化財、経済産業省の近代化産業遺産に指定され、日本郵船氷川丸として公開されています。