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大久保利通哀悼碑

東京都千代田区紀尾井町の清水谷公園にあるのが大久保利通哀悼碑。明治11年5月14日朝、大久保利通は石川県士族・島田一郎(しまだいちろう)ら6人の不平士族によって暗殺されました(紀尾井坂の変)。明治21年5月、西村捨三、金井之恭、奈良原繁らによって紀尾井坂に「贈右大臣大久保公哀悼碑」が建立されました。

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清水谷公園

江戸時代、紀伊(紀州徳川家)、尾張(尾張徳川家)、井伊(井伊家)のそれぞれの屋敷があった東京都千代田区紀尾井町にある公園。紀州徳川家と井伊家の境からは清水が湧き出し、一帯は清水谷と称されていました。明治23年に一帯の土地が東京市に寄贈され、清水谷公園として整備。昭和40年に千代田区に移管され、現在は区立公園になっています。

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品川寺

東京都品川区南品川にある江戸三十三箇所観音霊場の第31番が品川寺(ほんせんじ)。寺伝では大同年間(806年〜810年)に空海(弘法大師)開山という古刹です(ただし空海が東国に布教に来たという裏付けはありません)。長禄元年(1457年)、江戸城を築いた太田道灌が伽藍を建立しています。銅造地蔵菩薩坐像は、江戸六地蔵の第一番。

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横浜中華街で『媽祖誕』

媽祖(まそ)は航海の安全や漁業、健康、縁結びにご利益があるといわれる中国の女神(もっとも地位の高い神)。その誕生日である旧暦3月23日(5月上旬=新暦に直しての開催ですので年によって開催日が異なりますので、事前にご確認を)を祝って横濱媽祖廟で『媽祖誕』が行なわれます。

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横浜媽祖廟

航海安全の守護神として知られる道教の女神、媽祖(まそ)。「玉皇大帝」「天公」ともいわれ、中国の民間信仰では最高神にされているほどです。あらゆる神・仙人を統御し、人間の行為を算定して運命を決定すると信じられてきた媽祖を祀るのが横浜中華街にある横浜媽祖廟(よこはままそびょう)です。

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馬車道

江戸時代末期には半農半漁100戸ほどの小さな村だった横浜。黒船が来航し開いた港には、西洋文化がどっと上陸。それまで乗り物といえば駕籠(かご)だった日本で、関門のあった吉田橋と居留地を結ぶ馬車を通すために造成されたのが馬車道です。馬車道には「日本初」というものが多く、たとえば明治5年に初点火したガス灯もそのひとつ。

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鈴ヶ森刑場

江戸の入口には東海道沿いの鈴ヶ森刑場(現・東京都品川区南大井)と日光街道沿いの小塚原刑場(荒川区南千住2丁目)、八王子・浅川河原(八王子市大和田町)の大和田刑場と3ヶ所の処刑場がありましたが、慶安4年(1651年)に東海道沿いに設置された刑場が鈴ヶ森刑場。第一京浜(国道15号)の傍らに刑場跡が残されています。

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品川富士(品川神社)

東京都品川区北品川3丁目に鎮座する東京十社のひとつ品川神社は、文治3年(1187年)、源頼朝創建という古社ですが、その境内で東海道を見下ろすようにそびえるのが東京随一の高さを誇る富士塚の品川富士です。東京23区内に残る「江戸七富士」のひとつで、比高は15mという巨大な富士塚です。

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品川神社

文治3年(1187年)、源頼朝が安房国の洲崎神社(すさきじんじゃ=館山市洲崎)から、海上交通安全と、祈願成就の守護神として、天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)を勧請して祀り、品川大明神としたのが始まりという古社。東京十社のひとつで、東海七福神の大黒天を祀っています。

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宿坊初体験派にもおすすめ! 清澄寺(千葉県鴨川市)に泊まろう

千葉県鴨川市にある日蓮宗の大本山、清澄寺(せいちょうじ)。日蓮聖人が立教開宗した聖地中の聖地なのですが、なんと清澄寺には宿坊があり、予約で精進料理も味わえます。「仏教において、食事をし健康な体を保つことは一生懸命修行すること」(清澄寺)とのことで、凛とした聖なる空気の中で、宿坊体験が可能です。

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「修行2日目!清澄寺 千葉鴨川」

[aside type=”normal”] この記事は「じぶん日記」から寄稿していただきました。
元記事はコチラ ▶ 「修行2日目!清澄寺 千葉鴨川」 : じぶん日記 [/aside]

このままクラブイベントのポスターに使えそうな写真からスタート。
修行体験2日目のレポートです。
初日の様子はコチラ

朝はなんと5時起きですよ、ハイ。
女子部屋は、なんとなく誰かが起きはじめみんな黙々と準備をし。
誰ひとり遅刻せず、太鼓をもってスタンバイ。
境内の中にある「旭が森」まで太鼓行列。


朝日を拝みに行きますよー!
まだ月が出ている、朝5時の月。

朝日に向かい太鼓をたたく。
なんとも寒い。
ちょっと山あいにあるお寺だからか3月でも寒かったです。防寒必要でした。

なんと、なんと!
とってもキレイな朝日がねー!


お寺に泊まろう、3回目にして。
初めてきれいな朝日が見えたのだそうです!
水平線から昇る朝日。すてきすぎましたー

「南無妙法蓮華経」って言う言葉って子供のころから訳も分からず使ってたけど(使ってたっけ?)、
ここ旭が森という場所はその「南無妙法蓮華経」を初めて唱えた場所なんですって。
日蓮さんが出家して、ここで開宗したのだそうです。

気持ちよく朝日を眺めた後はまた太鼓を叩きながら今度は本堂へ。

本堂に入るのはここのタイミングで初でした。
「摩尼殿(まにでん)」と呼ばれる本堂です。

大屋根で立派なんです。


朝のお祈りはじまりました。
お経を唱えるお坊さんたちの息が白かったです。

本堂内で撮影させていただいたことは、本当にありがたいことでした。
正面には虚空蔵菩薩が安置されています。


そしてここから1時間半のヨガ体験。
これが一番キツかったかも。

そして朝ごはん。

くまモンいた。

ここから工作の時間。
これは楽しかったなー。
好きな布で御朱印帳を作りまーす。


渋いのができた。

最後はお散歩。
境内を案内していただきます。

仁王門。


中には阿吽が控えています。

租師堂。


中はきらっきらです!
建築家 内井昭蔵氏デザイン。



千年杉。
見上げる大きさ。

国の天然記念物。
48メートルもある!


根回りでも17.5メートルあるんです。

でも杉だなぁ…(花粉症)
生い茂っている。

この後解散式がありお昼ごろには終了となりました。
時間としてはちょうど丸一日くらい。
サクッとここで穏やかな気持ちをもらってまた日常に戻る。
日蓮宗には「百日修行」という命がけの厳しい修行があるそうなんです。
ここのお寺にいらっしゃるお坊さんはみんな若い方たちだったけど、その修行を終えたということを聞きました…!
本当に、命がけなんですよ!
それを通り越して自分の限界を超えて、そしてあの柔和な表情になるんだなぁ。

お寺ってね、なかなか触れ合う機会がないものだったんですが
こういう機会にたーっくさん学ばせていただきました。

それよりも千葉の鴨川ってね、とても穏やかで空気感がいいんですよね。
ぜひ鴨川へも行ってみてください!

カモ旅公式サイト

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「宿坊体験!お寺に泊まろうin清澄寺 千葉鴨川」

[aside type=”normal”] この記事は「じぶん日記」から寄稿していただきました。
元記事はコチラ ▶ 「宿坊体験!お寺に泊まろうin清澄寺 千葉鴨川」 : じぶん日記 [/aside]

第3回お寺に泊まろう!に参加しませんか?と声をかけられて、ブロガーとして宿坊体験をしてきました。
お寺の境内でカメラをあちこちに向ける、ということをオッケーしてくれた千葉県・鴨川の清澄寺さん。
インスタも持ってるオープンな日蓮宗のお寺です♪
日蓮宗 大本山 清澄寺オフィシャルサイト

日蓮宗 大本山 清澄寺 (@seichoji_temple) * Instagram photos and videos

お寺ってお墓まいりだとかでしか行ったことない、って人も多いのではないでしょうか。

私なんて…、それすらほとんど行ったことがないですよ。
でもプチ断捨離っていうか、気持ちのデトックスっていうか、

日頃の気持ちをリセットする機会として宿坊体験をする人って増えているみたいです。

鴨川まで電車乗り継いで向かいます。
お天気で良かったー。がしかし、ちょっと風邪気味だった私です。
鴨川近づいてくるとサーファーが気持ちよさそうでした。
 

 
さて、清澄寺までは安房天津(あわあまつ)駅からコミュニティバスに乗って向かいます。
到着すると結構たくさんの人がお参りしてました。
大きなお寺でした!
 
 
早速受付をすませ道場へ。
そう!
なんとなくお寺に泊まるっていうと「本堂に泊まる」っていうイメージあるじゃないですか!
広々として、寒々しくて、ちょっと怖いみたいな。
そうじゃないのです。清澄寺はちゃんと施設が用意されていて、
お勉強したりごはん食べたり寝たりする場所はきちんと整備されていました。
 

 
プログラムの大半は道場で。
ひとりひとつの長机と座布団が用意されてます。
参加者はここで基本正座でお話を聞きます。
 

でも、
足を崩していい時間帯も多くて助かりましたー。
慣れていないから、やっぱり足はいたくなります。。
 
開会式がある前に
荷物を宿泊する自室に運んで楽な服装に着替えます。
正座が多いので、ゆったりした服や伸縮性ある服がいいです。 


 
宿泊する場所はこんな感じ!
大きなお部屋で雑魚寝ですが、整っています。
お茶も用意されてました。 
 

 

 
寝巻や歯ブラシなど、アメニティもあります。

お風呂は大浴場があって広かったです。
参加者の中には小学校の同級生グループなんかもいらして、なんか修学旅行みたいで楽しそうでした♬
 


 
さて、道場へと再度集まりいよいよスタート。
祈りから始まり、そして祈りで終わるプログラム。
あの、はだけた服を着た前にいる人は誰だろう…そんなレベルの私です。
 

一番奥にいるのがお釈迦様、
手前が日蓮上人。
「あのー、お釈迦様と仏様は一緒ですか?」そんな質問をしてしまう私です。
日蓮上人は日本人で、千葉県出身です!知らない私。
そんな私もあたたかく迎え入れてくれる清澄寺。
 


 
さてまずは自己紹介がありました。
ちょっと和気あいあいとしますね!終わるころにはいろんな方とお話ししてとても楽しい出会いでした。
そしていよいよ修行体験はじまります。
 

 
お坊さんたちは時にユーモアを交えながらやわらかくお話いただきます。
私のレベルでもちゃんとわかる!
畳の淵は結界だから踏まない、歩き出すときは左足からといったことも習いました。
 
さすがの私も最近成長し、ご焼香くらいはできるようになりました。
でもこれは最後まで上手にできなかった…!
最上級のお辞儀「伏拝」。
見たこともなければやったこともなかった。Youtubeで流してほしい。
 

 
そしてお次は写経体験。
 

 
意味を理解し書けばもっと良いのでしょうが・・、単純に久しぶりの筆がとても楽しかったです。
最後の感想を言い合うときも、写経はもっと長くてもいい!というような意見もありました。
私も調子がよくなってきた頃に書き終わってしまったので、巻物レベルで書きたいくらいです。
 
書き写す感じだから簡単にできますよ。
そして上手か下手かが問題ではないのです。
文字ひとつひとつは仏様とおなじという気持ちで大事に書いていく、それが修行ですっ!
 


 
ここでですねー、息をかけない、という理由で口に紙を挟んで書くという、
なかなか普段では体験できないスタイル。
私は風邪気味でマスクしてたのでそのままで。
懐紙をくわえたまま書いている姿ってなんかカッコよかったですよ。。
 

 
また塗香という粉を手に刷り込みます。
八角みたいな香りがして、おいしいにおいがします。
 

 
写経した紙はお供えしました。


 
食事は2度あります。
夜と朝。
 
食堂でいただきます。

夜はこんな感じの内容でした。味はおいしかった!
ごはんはたっぷり量がありましたが残しませんでしたよー 
 


 
ここではおしゃべりは禁止。
何度かやったことがありますが、食事中にしゃべらないってつらいんですよねー
最後までお茶とたくあん一枚を残しておきます。


 
すべてのお皿をお茶で洗い、最後にたくあんで拭いて全部食べます。
ちょっとでも残さない、食材を大切にする食べ方ですが一部のお皿でやりました。
 

 
ごはんを食べた後は夜のおつとめ。
 
太鼓の練習。
次の日の朝のおつとめで使う太鼓なので、みんなで息を合わせて叩きます。
 

  
お祈りも唱えました。
お坊さんたちの音程はなかなかの高音域で、あの音で一定に読むのは難しそうでした。
 

 
照明を落として暗い中でお経を唱え、この日一日の修行をしめくくり。
 

茶話会でお坊さんたちといろんなお話をして、
この日は終了。
 


 
2本目の記事 へつづく。
 
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横浜赤レンガ倉庫

横浜港・新港地区のシンボリックな風景のひとつが、横浜赤レンガ倉庫。新港埠頭脇に、古めかしくも美しいかつての2棟の倉庫が連なっています。明治32年、新港埠頭建設により、物資の一時保管場所として建てられたのが始まりで正式名は新港埠頭保税倉庫。設置当初から戦前までは税関施設として横浜税関が管理していました。

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旧横浜港駅プラットホーム

生糸の輸出全盛時代に、新港埠頭と当時の横浜駅(現在の桜木町駅)を結ぶ横浜臨港線として、明治43年8月15日に開通し、明治44年9月1日に横浜港荷扱所として開業したのが横浜港駅。大正9年7月23日付で正式に横浜港駅(よこはまみなとえき)となったプラットホームが横浜赤レンガ倉庫横に、旧横浜港駅プラットホームとして現存。

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汽車道

日本丸メモリアルパーク脇から、新港地区にある横浜ワールドポーターズまでの海上を歩く歩行者専用道が汽車道(きしゃみち)。かつての横浜臨港線の廃線跡で、みなとみらい21地区のホテル群や大観覧車を目に、のんびり歩けるプロムナードになっていいます。足元には、明治時代のトラス橋の遺構が3つ連続しています。

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港三号橋梁(汽車道)

汽車道に3つ連続するかつての鉄道橋のうち、旧横浜駅(現・桜木町駅側)から3番目にあり、もっとも小さな橋が港三号橋梁。明治39年に架設された北海道炭礦鉄道夕張線の夕張川橋梁の100フィート鈑桁橋(鋼ワーレントラス橋)で昭和3年、横浜生糸検査所引込線の大岡橋梁として転用されたもの。

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港二号橋梁(汽車道)

明治32年に始まった横浜港の新港埠頭の造成にともない明治44年に開通した横浜臨港線の2つ目の橋梁が港二号橋梁。現在は歩行者専用の汽車道の一部として保存されています。港一号橋梁と同様に、明治40年にアメリカン・ブリッジ社で製作され、明治42年に鉄道院によって架橋されたもの。

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港一号橋梁(汽車道)

明治44年に開通した初代横浜駅(桜木町駅)と新港埠頭を結ぶ臨港線に架橋された橋。現在は汽車道の遊歩道、人道橋として余生を送っています。1907年(明治40年)に、港二号橋梁とともにアメリカン・ブリッジで製作された30フィートの鈑桁橋2連と100フィートのトラス橋からなる鋼トラス橋で、明治42年に当時の鉄道院が架橋。

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