江戸時代末期には半農半漁100戸ほどの小さな村だった横浜。黒船が来航し開いた港には、西洋文化がどっと上陸。それまで乗り物といえば駕籠(かご)だった日本で、関門のあった吉田橋と居留地を結ぶ馬車を通すために造成されたのが馬車道です。馬車道には「日本初」というものが多く、たとえば明治5年に初点火したガス灯もそのひとつ。
馬車が走った時代の牛馬の水飲み場も復元
居留外国人が馬車に乗る様子を「異人馬車」と呼び、道の名もいつしか馬車道と呼ばれるようになったのが馬車道という名の由来。
神奈川県立歴史博物館の前(馬車道の反対側の歩道)には馬の給水用に設けられた「牛馬飲水槽」のレプリカが置かれています。
明治5年、高島嘉右衛門のガス会社により馬車道、本町通りにかけて日本最初のガス灯が点灯。
これを記念して馬車道には当時を復元したガス灯が車道商店街協同組合によって建てられています。
またアイスクリーム発祥の地の記念碑も立っていますがが、当時さまざまな洋食が紹介されるなか、いちばん珍しかったのがアイスクリームだったというわけ。
『横浜沿革史』に「明治2年6月馬車道通り常盤町5丁目ニ於テ町田房造ナルモノ氷水店ヲ開業ス」とあり、アイスクリーム(当時はあいすくりんと呼んだ)は、町田房造の氷水店が販売したのが日本における事始め。
明治元年、日本人として最初の写真家・下岡蓮杖(しもおかれんじょう)が開いた日本初の写真館「相影楼」もこの馬車道にありました(「下岡蓮杖顕彰碑」が立っています)。
日本初の乗合馬車は、明治2年2月にランガン商会が横浜の居留地から馬車道(現在の馬車道とは異なる)を経由し、吉田橋と東京築地の居留地を結んだもの。
明治2年5月に下岡蓮杖ら日本人商人の共同出資によって設立された成駒屋(なりこまや)が横浜〜東京間で乗合馬車の営業を開始したもの。
ヨーロッパ製馬車(定員6人)を使い、吉田橋から東京・日本橋に向かって出発。
所要時間は4時間ほどを要していました。
明治5年の鉄道開通で、横浜〜東京を結んだ馬車運行は廃れていきますが、乗合馬車や、馬車を使った馬車鉄道は全国へと普及していったのです。
「ホテルルートイン横浜馬車道」の1階正面玄関には復元された「異人馬車」も展示されています。
馬車道 DATA
名称 | 馬車道/ばしゃみち |
所在地 | 神奈川県横浜市中区 |
関連HP | 横浜市公式観光情報サイト |
電車・バスで | JR・横浜市営地下鉄関内駅南口から徒歩3分 |
ドライブで | 首都高速横羽線みなとみらい出口から約1km |
駐車場 | 市営馬車道地下駐車場(200台/有料) |
問い合わせ | 横浜観光コンベンションビューロー TEL:045-221-2111 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |