横浜みなとみらい21地区にある横浜のランドマークエリアを一望にする大観覧車。入園無料の都市型遊園地「よこはまコスモワールド」の施設で、15分の空中散歩が楽しめます。「よこはまコスモワールド」の運営は、大観覧車を特異とする泉陽興業夜で、全高112.5m、定員480名の日本最大級の時計機能付き大観覧車です。
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よこはまコスモワールドは、横浜みなとみらい21地区のシンボル的な存在となった大観覧車「コスモクロック21」を擁した都市型遊園地。「ワンダーアミューズ・ゾーン」、「ブラーノストリート・ゾーン」、「キッズカーニバル・ゾーン」に分かれて、30ほどのアトラクションが用意されています。
木更津市、君津市、富津市、袖ケ浦市と市原市の一部の水道水の水源であり、洪水調節などの機能も有した多目的ダムの亀山ダム。昭和55年に完成した亀山ダムのダム湖が亀山湖で、千葉県随一の湖としてレジャー基地になっています。また「関東で一番遅い紅葉」が人気で、紅葉シーズンには湖畔のボートハウス各社が「紅葉遊覧クルーズ」を実施。
横浜市鶴見区にある総合公園で、その名の通り、上の池、中の池、下の池の3つの池があります。ソメイヨシノを中心に35品種1000本の桜が植栽され、「日本さくら名所100選」に選定。バードウォッチングも可能で、神奈川県の「かながわの探鳥地50選」のひとつ。テレビ神奈川の三ツ池送信塔は公園のシンボル的な存在になっています。
明治40年、軍港だった横須賀の高台、衣笠城址の近くに日露戦争の戦死者を慰霊するために記念碑を建て、桜を植栽したのが始まりという桜の名所。今では7.4haの園内にソメイヨシノを中心とした3000本の桜となって「日本さくら名所100選」にも選定されています。
千葉県立富津公園
東京湾の入口、富津岬に整備された千葉県立の公園。明治時代から太平洋戦争まで要塞地帯だったため、一般の立入が禁じられ、その結果、開発の手を免れて緑豊かな半島が残されています。公園全体が南房総国定公園に指定。海岸部は千葉県の指定天然記念物の富津洲海浜植物群落地となっています。
鴨川市太海(ふとみ)の海岸から200mほどの海上に浮かぶ、仁右衛門島。周囲4kmの小さな島は、なんと平野仁右衛門さん個人所有の島。平野家の当主は代々仁右衛門を名乗りますが、推定38代目という当主の平野仁右衛門さんが、実際に島に暮らしています。島へは太海の渡船場から昔ながらの手漕ぎ船で渡ります。
元記事はコチラ ▶ 「千葉・袖ケ浦 袖ケ浦海浜公園タワー、のうえんカフェ、東京ドイツ村イルミネーション」 : じぶん日記 [/aside]
木更津エリアから離れ、袖ケ浦へやってきました。
この日は夜に東京ドイツ村イルミを見て、そのままアクアライン使って帰る計画。
江戸城の本丸と二の丸、三の丸跡を整備し、昭和43年から一般に公開したのが皇居東御苑。「皇居附属庭園」というのが元来のスタイルで、今も宮内庁の管理です。
港区南麻布の高台(淀橋台)から台地下へという傾斜地を利用した公園。江戸時代には南部藩(盛岡藩)下屋敷だった地。明治中期から有栖川宮邸地となり、その後、高松宮家所有を経て、東京市に下賜されて有栖川宮記念公園、北側は東京府養正館となりました。東京府養正館の土地には、現在、都立中央図書館が建っています。
中世の豪族の館に始まり、江戸時代は高松藩松平家の下屋敷、明治時代は旧陸海軍の火薬庫、大正時代からは皇室の御料地(白金御料地)と、長い間人が立ち入らない状態が続いたために残った貴重な自然。昭和24年、自然保護のため天然記念物・史跡に指定されると同時に、現在の形で一般にも公開されるようになりました。
熊本藩主・細川家の下屋敷があったところで、屋敷や回遊式の庭園が整備されました。その大名庭園の東庭園部分が現在の戸越公園。江戸時代以降、所有者も転々と変わっていますが、大名庭園の池泉の雰囲気は残されています。
東五反田にある品川区立の公園。江戸時代は、岡山藩池田家下屋敷のあった地で、大名庭園の名残をとどめる池泉回遊式の庭園が現存しています。江戸時代から池田家の下屋敷があったことから池田山と通称されていたことが、公園の名の由来になっています。下屋敷時代には3万7600坪という広大な敷地だったといいますがその面影はありません。
元記事はコチラ ▶ 【旅】千葉アクアラインイーストの旅に行ってきた(2日目) : イカズブログ [/aside]
「アクアラインイースト」とは、文字通り東京湾アクアラインの東側のこと。
木更津市・君津市・富津市・袖ヶ浦市の4市が、2014年より「アクアラインイースト観光連盟」の名のもと、合同で観光PRを行っています。
東京ミッドタウンに隣接する港区立の公園。江戸時代には長州藩・松平大膳大夫(毛利家)の下屋敷があった場所で、「清水園」と呼ばれる大名庭園のあった場所。檜町という名は、毛利邸の南側に見事な檜(ヒノキ)林があったことから「檜屋敷」と呼ばれていたことに由来。屋敷は3万6800坪(12ha)という広大な広さでした。
三菱財閥の祖・岩崎弥太郎の命により、明治13年に完成した池泉回遊式庭園。もとは下総国関宿の城主・久世家の荒廃した下屋敷だった場所を蘇らせ、賓客の接待や社員の慰安所として使用した。造園に大変な関心を寄せていた弥太郎は、こよなく石を愛したことで知られ、ここにもたくさんの銘石が集められています。東京都の名勝に指定。
5代将軍・徳川綱吉の信頼を得て側用人(そばようにん)となった柳沢吉保の別荘として、1695(元禄8)年に造園された大名庭園。敷地面積約8万7000平方メートルを誇り、江戸初期を代表する池泉回遊式庭園には、将軍・綱吉も数十回、訪れたと伝えられています。春の枝垂れ桜、秋の紅葉時期にはライトアップ、夜間入園も実施。
徳川御三家のひとつ、水戸藩初代藩主・徳川頼房が江戸上屋敷の庭園として造園を指示、水戸黄門で知られる2代藩主・徳川光圀が完成した、江戸初期の代表作的庭園。東京に残る江戸時代初期の大名庭園は、小石川後楽園と、旧芝離宮恩賜庭園のみ。浜離宮恩賜庭園同様に国の特別史跡と特別名勝の指定を受けている全国的にも希少な庭園です。