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三四郎池(東京大学)

東京都文京区本郷、東京大学本郷キャンパスにあるのが夏目漱石の長編小説『三四郎』のモチーフとなった三四郎池。東大本郷キャンパスは、江戸時代には加賀藩上屋敷だった地で、三四郎池もかつての大名庭園「育徳園」の一部。正式名は育徳園心字池ですが、漱石の小説の影響で三四郎池と通称されるようになりました。

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旧安田庭園

本庄松平氏(常陸笠間藩、のち丹後宮津藩)の下屋敷だった地で、庭園は元禄年間(1688年〜1704年)に笠間藩初代藩主となった本庄宗資(ほんじょうむねすけ)が築いた大名庭園。明治時代に安田財閥を起こした安田善次郎の所有になったので旧安田庭園の名があります。長居して人工的に池の干満を再現していることの確認を、ぜひ。

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椿山荘庭園

地元で「バッケ」と呼ばれる目白崖線(めじろがいせん)に沿って、台地から神田川の渓谷へと下る地形を巧みに活かした庭園が、結婚式や宴会場、そしてホテルとしても名高い椿山荘(ちんざんそう)の庭園。江戸時代には上総国(かずさのくに/現・千葉県)、久留里藩黒田家(くるりはんくろだけ)下屋敷だった地。

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肥後細川庭園(新江戸川公園)

幕末には熊本藩細川家下屋敷の庭園だった場所。明治15年には華族となった細川家の本邸になり、昭和35年に東京都が購入し、昭和36年に公園として開園。さらに昭和50年から文京区立新江戸川公園として開放されていました。平成29年春から肥後細川庭園と名前を変えて、江戸時代の大名庭園の名残をPRしています。

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毛利庭園(毛利甲斐守邸跡)

六本木ヒルズ内の日本庭園が毛利庭園。テレビ朝日が隣接するため、ニュース番組などで毛利庭園からの中継も多いので全国的にも馴染みの深い場所になっています。毛利甲斐守邸跡(長門長府藩麻布上屋敷の跡)でもあり、赤穂浪士の岡嶋八十右衛門ら10人が切腹した邸で、乃木大将誕生の地にもなっています。

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檜町公園

東京ミッドタウンに隣接する港区立の公園。江戸時代には長州藩・松平大膳大夫(毛利家)の下屋敷があった場所で、「清水園」と呼ばれる大名庭園のあった場所。檜町という名は、毛利邸の南側に見事な檜(ヒノキ)林があったことから「檜屋敷」と呼ばれていたことに由来。屋敷は3万6800坪(12ha)という広大な広さでした。

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六義園『しだれ桜と大名庭園のライトアップ』 |2020

2020年3月20日(金・祝)~4月2日(木)、東京都文京区の六義園で『しだれ桜と大名庭園ライトアップ』が開催。大名庭園のひとつ、六義園のしだれ桜はソメイヨシノよりもひと足早く、3月下旬頃に見頃を迎えます。日没~21:00の間、ライトアップが実施され、期間中は21:00まで開園(最終入園は20:30)。

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清澄庭園

三菱財閥の祖・岩崎弥太郎の命により、明治13年に完成した池泉回遊式庭園。もとは下総国関宿の城主・久世家の荒廃した下屋敷だった場所を蘇らせ、賓客の接待や社員の慰安所として使用した。造園に大変な関心を寄せていた弥太郎は、こよなく石を愛したことで知られ、ここにもたくさんの銘石が集められています。東京都の名勝に指定。

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六義園

5代将軍・徳川綱吉の信頼を得て側用人(そばようにん)となった柳沢吉保の別荘として、1695(元禄8)年に造園された大名庭園。敷地面積約8万7000平方メートルを誇り、江戸初期を代表する池泉回遊式庭園には、将軍・綱吉も数十回、訪れたと伝えられています。春の枝垂れ桜、秋の紅葉時期にはライトアップ、夜間入園も実施。

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小石川後楽園

徳川御三家のひとつ、水戸藩初代藩主・徳川頼房が江戸上屋敷の庭園として造園を指示、水戸黄門で知られる2代藩主・徳川光圀が完成した、江戸初期の代表作的庭園。東京に残る江戸時代初期の大名庭園は、小石川後楽園と、旧芝離宮恩賜庭園のみ。浜離宮恩賜庭園同様に国の特別史跡と特別名勝の指定を受けている全国的にも希少な庭園です。

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浜離宮恩賜庭園

江戸時代、将軍家の別邸、浜御殿が建てられ、6代将軍・徳川家宣(とくがわいえのぶ)が造園を完成させた大名庭園。明治維新後は皇室の離宮となり、浜離宮と呼ばれるように。戦後、都の公園として移管。入口近くの将軍・家宣の大改修を記念して植栽された「三百年の松」は、低く大きく張り出された枝振りから歴史の重みが感じられます。

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銀座4丁目交差点

銀座は1丁目から8丁目までありますがその中心が4丁目交差点で、銀座通り(中央通り=旧東海道)と晴海通りの交差点。商業地として日本一地価の高い場所にもなっています。銀座通りは江戸時代以来のメインストリートで、銀座4丁目交差点は、銀座5丁目側が尾張町で江戸時代には尾張町四ツ辻と呼ばれていました。

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旧芝離宮恩賜庭園

1678(延宝6)年、佐倉藩主で老中・大久保忠朝(おおくぼただとも)が4代将軍・徳川家綱から拝領した大名庭園「楽壽園」が前身となるのが旧芝離宮恩賜庭園(きゅうしばりきゅうおんしていえん)。往時には江戸湾に面し、海の水を庭園に引き込む潮入の庭園でした。ビルに囲まれた現在は、都立公園として庭園観賞を楽しむことが可能です。

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【待ち合わせ場所/銀座】 和光本店

銀座の待ち合わせ場所といえば候補はいろいろありますが、もっともハイカラで、ハイソで、銀座らしい場所といえば、和光本店。日本建築士会連合会の「東京都のランドマーク」にも認定で、まさに、東京の待ち合わせ場所の筆頭。しかも和光本店の建つ銀座4丁目界隈は、地価日本一の場所です。

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「日本考古学発祥の地」碑

1日9万人以上の乗降客を誇るJR大森駅は、日本で最初の鉄道が新橋〜横浜間に開業した4年後の明治9年6月12日。その翌年、横浜から新橋へ移動途中の汽車の車窓からモースが貝塚を発見。これが日本の考古学発祥となったため、モースが発掘調査のために降り立った大森駅のホームに「日本考古学発祥の地」碑が立っているのです。

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大森貝塚(大森貝塚遺跡庭園)

日本で初めて考古学としての科学的調査が行なわれた遺跡といわれる大森貝塚。明治10年、新橋へ向かう汽車の窓から、アメリカ人動物学者のE.S.モース博士が、貝殻の堆積している場所を発見。まもなく調査が行なわれ、これが日本の近代的考古学の出発点となったとか。品川区内の遺跡一帯が大森貝塚遺跡庭園(国の史跡)です。

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大森貝墟の碑(史跡大森貝塚)

大森貝塚といわれる場所は品川区(大森貝塚遺跡庭園)と、大田区の京浜東北線線路横の2ヶ所あります。大田区側には「大森貝墟」(おおもりかいきょ)の碑が立てられています。

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和光本館

日本の一等地、銀座4丁目の交差点にそびえる和光本館。銀座に特別な建築美と高級感を漂わせ、銀座の「ハイカラ感」を演出するシンボル的な存在になっています。というわけで、日本建築士会連合会の「東京都のランドマーク」にも認定されているのです。

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