大手町のビル街のなかにひっそりと眠っているのが将門塚(しょうもんづか)と通称される平将門(たいらのまさかど)の首塚。もともと神田明神の祀られていた地でもあり、東京を代表するパワースポット。江戸時代には江戸城・大手門を守る酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)の上屋敷跡で、有名な「伊達騒動」の終末の地にもなっています。
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中央区日本橋室町のオフィス街に鎮座する古社。社殿は、三井不動産の「日本橋再生計画」のメイン事業である「日本橋室町東地区開発計画」で新築され、隣接地に現代版の鎮守の森として「福徳の森」もつくられています。夜間には「仲通り」「浮世小路」(うきよしょうじ)と一体的なライトアップも実施され、幽玄な空間が生み出されています。
深川は仙台堀近くの寺町にある心行寺は、深川七福神の福禄寿を祀る寺。1616(元和2)年に京橋・八丁堀寺町に創建した浄土宗の寺で、1633(寛永10)年に現在地に移りました。境内には縁結びの地蔵様として江戸時代から信仰される「影窓院地蔵」、江東区に現存する最古の金石文である五重石塔などがあります。
法乗院(深川えんま堂)は、1629(寛永6)年創業という真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の寺。えんま堂(ゑんま堂)には日本最大の閻魔(えんま)大王座像が安置され、本堂1階には江戸時代に描かれた『地獄極楽絵』が展示されています。境内には「日本三大仇討ち」で知られる曽我五郎の足跡石があるなど見どころも豊富です。
銀座三越(三越銀座店)の屋上に鎮座する立身出世、開運に御利益(ごりやく)大という地蔵尊。デパートが並ぶ銀座ですが、銀座三越には銀座出世地蔵尊と三井家の守護神である三囲神社、3丁目の松屋銀座には龍光不動尊が「屋敷神」として祀られています。なかでも有名なのが三越屋上の銀座出世地蔵尊です。
正月や盆の16日は、地獄の閻魔大王も罪人の呵責(かしゃく)を休むことから「地獄の釜の蓋も開く」という諺(ことわざ)が生まれています。1月16日、7月16日は「藪入り」(やぶいり)で、奉公人が奉公先から休みをもらい、実家に帰ったりできる日でした。毎月16日は閻魔様の縁日ですが、1月16日は『初えんま』で御利益も絶大!
千葉県成田市にある成田山新勝寺の別院で、深川不動として有名。江戸時代に明王の中でも中心的な存在で、力強い火炎で煩悩を焼き尽くす不動明王を信仰するブームが起こり、とくにその代表格である成田山新勝寺は、あまりの人気で、江戸で出張御開帳をすることに。その御開帳をルーツにするのが明治14年創建の深川不動堂です。
太田道灌の江戸城築城の際に、川越喜多院に祀られた日吉社(山王権現)を勧請して創建。家康が江戸城の鎮守としました。2代将軍・徳川秀忠が江戸城外の麹町隼町に遷し、庶民の信仰が始まりました。国宝だった社殿は戦災で失いましたが、今も東京の総氏神として親しまれています。
1690(元禄3)年、5代将軍・徳川綱吉によって建てられた孔子廟(こうしびょう=孔子を祀る霊廟)が前身。「日本の学校教育発祥の地」の碑が立つように幕府直轄の昌平坂学問所が置かれた地であり、菅原道真を祀る湯島天神(湯島天満宮)とともに、受験生の合格祈願で有名なスポットになっています。
年配の人だと神田明神といえば、明神下に住んだ銭形平次を思い浮かべるかもしれません。銭形平次は実在の人物ではありませんが、平次の暮らした明神下から男坂の階段を上ると、眺めの良い、神田明神の境内です。この男坂の石段も日本橋・神田界隈の町火消(まちびけし)の寄進です。江戸の華といわれた『神田祭』の情景も必見です。
正式名は神田神社ですが、江戸時代以前からの神田明神で知られる「江戸総鎮守」。今でも東京の都心部、神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内など108の町々の総氏神となっています。京都の祇園祭、大阪の天神祭とならんで「日本の三大祭」に数えられる神田祭も神田明神の祭礼です。
異色の外観で銀座界隈を歩く外国人観光客も注目する築地本願寺。現在の建物は古代インドの寺院を思わせる風貌ですが、江戸時代の築地本願寺(西本願寺)は、やはり堂々たる大屋根の寺院建築。しかも八丁堀の海上を埋め立てたばかりの土地に建っていました。
日本武尊が東征のおり、三浦半島・観音崎あたりから房総半島に渡る時、海が大時化(しけ)となり、難儀した際に、妃(きさき)の弟橘媛(おとたちばなひめ)が海に身を投じて海神を鎮(しず)めました。その帰路、日本武尊は湯島(現・東京都文京区湯島)に滞在し、住民が日本武尊と弟橘媛を祀ったのがこの神社の起こりとか。
合格祈願で有名な学業の神、菅原道真を祀る通称「湯島天神」。正式名は湯島天満宮ですが神社の公式HPも今や「湯島天神」に。創建は5世紀半ばとも伝えられますが、1478(文明10)年、太田道灌が再建、家康が崇敬したことで学者・文人が参拝。5代将軍徳川綱吉が湯島聖堂を移し、一層当地が文教の中心として栄えるようになったとか。
1617(元和3)年、京・龍谷山本願寺(西本願寺)の別院として建てられた、浄土宗本願寺派本願寺築地別院。当初は浅草の横山町にありましたが、明暦の大火(「振り袖大火」)で焼失。その後、現在地に再建されています。往時の建物は再び関東大震災で崩壊し、現在の古代インド様式の建物は二度目の再建。
江戸三大祭りのひとつに数えられる「三社祭り」が行なわれることでも知られる、東京都台東区、浅草にある古社。『浅草寺縁起』に登場する、隅田川で浅草寺の御本尊を感得した桧前浜成命(ひのくまのはまなりみこと)、桧前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと)兄弟と、土師真中知命(はじのまつちのみこと)を祭神として祀っています。
東京でもっとも歴史を誇る寺は、浅草寺(せんそうじ)といわれていますが、そのルーツとなるお堂が駒形橋のたもと近くにある駒形堂。 『浅草寺縁起』によれば、浅草寺は兄弟が隅田川で漁をしていた際に1躰の仏像が網にかかったので自ら出家、屋敷を寺に改めたのが始まりと伝えますが、その仏像が陸に上げられた地が駒形堂です。
東京23区の自然地形での最高峰は、愛宕山(あたごやま/25.7m)です。家康の江戸入府以前は桜田山と呼ばれていましたが、徳川家康が関ヶ原の勝利を記念して1603(慶長8)年に愛宕権現を頂に勧請したことで、愛宕山と称されるようになりました。その愛宕山ですが、その景観の良さは定評がありました。