東京都公園協会が管理する葛西臨海公園。その中心施設である葛西臨海水族園の海側にあるのが同じ東京都公園協会が運航する東京水辺ラインの葛西臨海公園発着場です。葛西臨海公園とお台場海浜公園、さらには浅草(二天門)、両国を結んで、水上バスが発着しています。
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「水上バスで行こう!」がキャッチフレーズの東京水辺ライン。隅田川の両国を起点に両国〜浅草(二天門)〜浜離宮〜お台場海浜公園〜葛西臨海公園に水上バスを運航。注意したいのは東京都観光汽船とは異なること。お台場海浜公園の桟橋は、両社の共用の桟橋となっているのでお乗り間違えのないようにご注意を。
東京都公園協会が運航する東京水辺ライン。両国を起点に浅草(二天門)発着場に寄港し、お台場海浜公園、さらには葛西臨海公園までクルーズします。両国〜お台場海浜公園〜葛西臨海公園は、水上バス(海上バス)の定期クルーズとしては最長で、2時間ほどの所要。東京の川と東京港を楽しむことができます。
都立公園を管理する東京都公園協会が運航する水上バスが「東京水辺ライン」。両国発着所をメインポートにして、浅草(二天門)からお台場海浜公園を結ぶ「浅草・お台場クルーズ」、葛西臨海公園まで足を伸ばす「葛西・浅草クルーズ」、そして葛西臨海公園とお台場海浜公園を結ぶ「葛西・お台場周遊」がメインの運航ルート。
神田明神(神田神社)前の明神甘酒の店。1846(弘化3)年創業という老舗で、地下6mにある明治37年改築という輸入レンガ造りの室(むろ)でつくる米麹(こめこうじ)をベースにした昔ながらの味。江戸時代の慶長の始めに今のかたちの甘酒となりましたが、江戸庶民にとっては、貴重な甘みだったとか。自然の甘味を伝える希少な店です。
ニコライ堂の愛称で親しまれている東京復活大聖堂の正式名は、日本ハリスト正教会教団復活大聖堂。ニコライ・カサートキン大主教によって建てられたギリシャ正教会の聖堂で、完成は明治24年。尖端状鐘楼があるドームの高さは38mで、日本最大のビザンチン様式の建物として、国の重要文化財にも指定されています。
神田明神近く、宮本公園内に移築された遠藤家旧店舗・住宅主屋が「神田の家 井政」。江戸時代より神田鎌倉町で材木商を営んできた遠藤家が、関東大震災後、昭和初期に建てた店舗併用住宅で、平日は庭が一般公開されるとともに日中はカフェとしても利用できます。
わずか4年ほどですが、中央本線御茶ノ水駅の神田寄り、昌平橋のたもとに昌平橋駅が開業していました。1年間は、名古屋〜東京を結んだ中央本線の起点駅にもなっているのです。今では駅舎の雰囲気はありませんが、往時のレンガ造りの高架が現存しています。
神田川に架かる橋。江戸時代には上流の水道橋まで橋はなく、駿河台と本郷台は深い峡谷だったため、この橋は神田川を渡る重要な橋になっていました。現在の橋は大正時代架橋のコンクリートアーチ橋。照明なども往時のままに復元され、千代田区景観まちづくり重要物件に選定されています。
湯島聖堂との間、千代田区と文京区の境界線上にある坂が昌平坂。昌平の名は、紀元前552年9月28日、孔子(こうし)が生まれた魯国昌平郷(現・中国山東省曲阜県の東南)に由来。孔子廟(湯島聖堂)が上野から湯島に移されてから付いた坂の名といえます。
御茶ノ水駅から、ニコライ堂と湯島聖堂、2つの聖堂を結ぶ聖橋を渡ると、湯島聖堂。御茶ノ水と湯島は隣接していたことに改めて気づきますが、そんな湯島の端に建つのが、江戸幕府が昌平坂学問所を設置した、湯島聖堂です。脇を流れる神田川、見事な峡谷をつくっていますが、実はこの部分、手掘りで掘削した運河なのです!
1690(元禄3)年、5代将軍・徳川綱吉によって建てられた孔子廟(こうしびょう=孔子を祀る霊廟)が前身。「日本の学校教育発祥の地」の碑が立つように幕府直轄の昌平坂学問所が置かれた地であり、菅原道真を祀る湯島天神(湯島天満宮)とともに、受験生の合格祈願で有名なスポットになっています。
年配の人だと神田明神といえば、明神下に住んだ銭形平次を思い浮かべるかもしれません。銭形平次は実在の人物ではありませんが、平次の暮らした明神下から男坂の階段を上ると、眺めの良い、神田明神の境内です。この男坂の石段も日本橋・神田界隈の町火消(まちびけし)の寄進です。江戸の華といわれた『神田祭』の情景も必見です。
正式名は神田神社ですが、江戸時代以前からの神田明神で知られる「江戸総鎮守」。今でも東京の都心部、神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内など108の町々の総氏神となっています。京都の祇園祭、大阪の天神祭とならんで「日本の三大祭」に数えられる神田祭も神田明神の祭礼です。
広重&豊国 浮世絵に描かれた増上寺
徳川家康が江戸入府の際に、住職に出会ったことが寛永寺と並ぶ徳川将軍家尊崇の寺となったとも伝えられる芝・増上寺。江戸時代には広大な敷地を誇る大寺院で、東海道側に設けられた大門がその玄関口として機能していました。大門は現存し、周辺の地名も芝大門として残されています。
異色の外観で銀座界隈を歩く外国人観光客も注目する築地本願寺。現在の建物は古代インドの寺院を思わせる風貌ですが、江戸時代の築地本願寺(西本願寺)は、やはり堂々たる大屋根の寺院建築。しかも八丁堀の海上を埋め立てたばかりの土地に建っていました。
広重&国芳 浮世絵に描かれた駒形堂
隅田川に架かる駒形橋。そのたもとに駒形という地名の由来になった駒形堂があります。実はこの小さなお堂、東京最古といわれる歴史を誇る浅草寺のさらにルーツとなるお堂。江戸時代には吉原通いの粋人が乗る渡し舟の舟着き場も近くにあったことから、多色刷りの浮世絵(錦絵)にも描かれています。
広重の浮世絵に描かれた湯島天神
受験シーズンともなると合格祈願に訪れる人が多い湯島天神(正式名は湯島天満宮)。江戸時代には不忍池を眼下に、寛永寺を眼前にする高台の景勝地という地の利を活かし、料理茶屋が脇を固めて文人墨客が集う場所となっていました。江戸屈指の絶景スポットを錦絵(多色刷りの浮世絵)で解説。