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朝比奈切通

海を除いた三方を山に囲まれた天然の要塞でもある鎌倉には、鎌倉七口と呼ばれる7ヶ所の入口が用意されていました。そのひとつが、現在の県鎌倉市十二所と横浜市金沢区朝比奈町を結ぶ峠道の朝比奈切通(あさひなきりどおし)。都市化の波から奇跡的に逃れ、往時のままに峠越えの山道が残され、スケッチなどにも絶好の地となっています。

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大楠山

三浦半島のほぼ中央にそびえる大楠山(標高241.1m)は、三浦半島の最高峰。北側は葉山国際カンツリー倶楽部となって芝が広がるが、ほかは自然林が残され、西側には前田川が小さな渓谷となって流れています。山頂には展望台があり、周囲に高い山がないので、東京湾から富士山まで、雄大なパノラマを楽しむことができます。

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東京湾フェリー&鋸山でダイヤモンド富士観賞!

東京湾に面した房総半島の内房では、年間2回、富士山に夕日が沈むダイヤモンド富士を眺めるチャンスがあります。注目は東京湾を横断する東京湾フェリー。恋人の聖地認定の東京湾フェリー金谷港、そして鋸山山頂は注目のスポットになっていますが、運が良ければフェリーのデッキからもダイヤモンド富士が鑑賞できる計算に。

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ペリー公園

神奈川県横須賀市の久里浜にあるアメリカ海軍提督マシュー・カルブレイス・ペリーが、嘉永6年6月9日(1853年7月14日)に久里浜海岸に上陸したことを記念したペリー上陸記念碑を中心とした公園。明治34年7月14日に除幕された記念碑と、「ペリー記念館」などがあります。近くの久里浜港からは金谷港に向けて東京湾フェリーが出航。

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港の見える丘公園

横浜・山手地区でもっとも海岸寄りの高台に位置する公園が港の見える丘公園。名前の通りベイブリッジなど横浜港の眺めがよく、夜景の美しいデートスポットとして知られていますが、実は開港の歴史を秘めるエリアにもなっています。公園を歩くときに、横浜開港のドラマチックな舞台となった山手居留地の歴史にもぜひ思いを馳せてみましょう。

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横浜外国人墓地

安政6年6月2日(1859年7月1日)の開港後、横浜に居留した外国人の墓地として、横浜の発展に尽くした外国人たちが眠る墓地が横浜外国人墓地。もとはペリー提督の艦隊の中の一隻である「ミシシッピー号」の墜死した水兵を葬ったのが始まりで、ペリーの要求した「海の見える地」という条件に合致する山手の高台が選ばれて墓地が築かれました。

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臨港パーク

横浜港・みなとみらい21地区の海辺に造られた、その名の通り「港に臨む」海と水に親しめる公園が、臨港パーク。実はこの園地がみなとみらい21地区最大の緑地となっています。海水を利用した潮入りの池や、1万2500平方メートルもの芝生の広場などが用意され、『横浜開港祭』などのイベントの会場としても活用されています。

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ベーリック・ホール

横浜・山手の高台にあるベーリック・ホールは、イギリス人貿易商バートラム・ロバート・ベリックの邸宅として、昭和5年に竣工した洋館。山手外国人住宅では最大規模の建物で、設計は山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場などを手掛けたアメリカ人建築家J.H.モーガンです。平成13に横浜市が取得し、建物と庭園を一般公開しています。

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第42回横浜開港祭2023

2023年6月2日(金)〜6月3日(土)、『第42回横浜開港祭2023』を開催。横浜港の開港は安政6年6月2日(1859年7月1日)。例年6月2日を中心に横浜市で『横浜開港祭』が行なわれています。”Thanks to the Port”「開港を祝い、港に感謝しよう」~市民が創る・世界に誇れる港の誕生祭~をコンセプトに、臨港パークを主会場にして、様々なイベントが催されます。

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横浜中華街で『媽祖誕』

媽祖(まそ)は航海の安全や漁業、健康、縁結びにご利益があるといわれる中国の女神(もっとも地位の高い神)。その誕生日である旧暦3月23日(5月上旬=新暦に直しての開催ですので年によって開催日が異なりますので、事前にご確認を)を祝って横濱媽祖廟で『媽祖誕』が行なわれます。

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横浜媽祖廟

航海安全の守護神として知られる道教の女神、媽祖(まそ)。「玉皇大帝」「天公」ともいわれ、中国の民間信仰では最高神にされているほどです。あらゆる神・仙人を統御し、人間の行為を算定して運命を決定すると信じられてきた媽祖を祀るのが横浜中華街にある横浜媽祖廟(よこはままそびょう)です。

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馬車道

江戸時代末期には半農半漁100戸ほどの小さな村だった横浜。黒船が来航し開いた港には、西洋文化がどっと上陸。それまで乗り物といえば駕籠(かご)だった日本で、関門のあった吉田橋と居留地を結ぶ馬車を通すために造成されたのが馬車道です。馬車道には「日本初」というものが多く、たとえば明治5年に初点火したガス灯もそのひとつ。

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横浜赤レンガ倉庫

横浜港・新港地区のシンボリックな風景のひとつが、横浜赤レンガ倉庫。新港埠頭脇に、古めかしくも美しいかつての2棟の倉庫が連なっています。明治32年、新港埠頭建設により、物資の一時保管場所として建てられたのが始まりで正式名は新港埠頭保税倉庫。設置当初から戦前までは税関施設として横浜税関が管理していました。

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旧横浜港駅プラットホーム

生糸の輸出全盛時代に、新港埠頭と当時の横浜駅(現在の桜木町駅)を結ぶ横浜臨港線として、明治43年8月15日に開通し、明治44年9月1日に横浜港荷扱所として開業したのが横浜港駅。大正9年7月23日付で正式に横浜港駅(よこはまみなとえき)となったプラットホームが横浜赤レンガ倉庫横に、旧横浜港駅プラットホームとして現存。

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汽車道

日本丸メモリアルパーク脇から、新港地区にある横浜ワールドポーターズまでの海上を歩く歩行者専用道が汽車道(きしゃみち)。かつての横浜臨港線の廃線跡で、みなとみらい21地区のホテル群や大観覧車を目に、のんびり歩けるプロムナードになっていいます。足元には、明治時代のトラス橋の遺構が3つ連続しています。

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港三号橋梁(汽車道)

汽車道に3つ連続するかつての鉄道橋のうち、旧横浜駅(現・桜木町駅側)から3番目にあり、もっとも小さな橋が港三号橋梁。明治39年に架設された北海道炭礦鉄道夕張線の夕張川橋梁の100フィート鈑桁橋(鋼ワーレントラス橋)で昭和3年、横浜生糸検査所引込線の大岡橋梁として転用されたもの。

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港二号橋梁(汽車道)

明治32年に始まった横浜港の新港埠頭の造成にともない明治44年に開通した横浜臨港線の2つ目の橋梁が港二号橋梁。現在は歩行者専用の汽車道の一部として保存されています。港一号橋梁と同様に、明治40年にアメリカン・ブリッジ社で製作され、明治42年に鉄道院によって架橋されたもの。

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港一号橋梁(汽車道)

明治44年に開通した初代横浜駅(桜木町駅)と新港埠頭を結ぶ臨港線に架橋された橋。現在は汽車道の遊歩道、人道橋として余生を送っています。1907年(明治40年)に、港二号橋梁とともにアメリカン・ブリッジで製作された30フィートの鈑桁橋2連と100フィートのトラス橋からなる鋼トラス橋で、明治42年に当時の鉄道院が架橋。

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