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東京大学赤門(旧加賀屋敷御守殿門)

加賀藩13代藩主・前田斉泰(まえだなりやす)が、1827(文政10)年、11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の娘・溶姫(やすひめ・ようひめ)を正室に迎えた際に建立された御守殿門。現在は、本郷通りに面した東京大学の本郷キャンパスの門として保存されています。

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旧因州池田屋敷表門(黒門)

江戸時代、因幡(いなば)・伯耆(ほうき)32万石を治めた大名が、鳥取藩池田家(因州池田家)。徳川家とも姻戚関係にあり、江戸の地でも権勢を振るっていました。上野恩賜公園、東京国立博物館構内に移築現存するのが旧因州池田屋敷表門。東大の赤門(加賀藩・前田家屋敷門)に対して、堂々たる風格から「上野の黒門」と呼ばれています。

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大仏パゴダ(上野大仏)

上野公園に建つ、明治5年創業の西洋料理の草分け上野精養軒。その近くにあるのが大仏パゴダ。関東大震災で崩れ落ちるまで、この大仏山と称する地には大仏が鎮座していました。現在では薬師仏を祀るパゴダ様式の祈願塔と志納所があり、大仏の顔面部のみ保存展示され、「これ以上落ちない」と受験生の験担ぎのパワースポットになっています。

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寛永寺旧本坊表門

徳川将軍家の菩提寺として、天海僧正が創建した寛永寺。1625(寛永2)年、3代将軍・徳川家光の時代に貫主の住坊となる本坊が建てられました。本坊があったのは現在の東京国立博物館の敷地。慶応4年5月15日(1868年7月4日)の官軍と彰義隊との上野戦争で焼失し、旧本坊表門だけは奇跡的に残存し、輪王殿の前に残されています。

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大観覧車「コスモクロック21」

横浜みなとみらい21地区にある横浜のランドマークエリアを一望にする大観覧車。入園無料の都市型遊園地「よこはまコスモワールド」の施設で、15分の空中散歩が楽しめます。「よこはまコスモワールド」の運営は、大観覧車を特異とする泉陽興業夜で、全高112.5m、定員480名の日本最大級の時計機能付き大観覧車です。

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よこはまコスモワールド

よこはまコスモワールドは、横浜みなとみらい21地区のシンボル的な存在となった大観覧車「コスモクロック21」を擁した都市型遊園地。「ワンダーアミューズ・ゾーン」、「ブラーノストリート・ゾーン」、「キッズカーニバル・ゾーン」に分かれて、30ほどのアトラクションが用意されています。

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横浜市開港記念会館

横浜開港50周年を記念し、市民の寄付金により大正6年に創建された横浜市開港記念会館(中区公会堂)。本来は横浜市の公会堂で、大正7年に竣工した大阪中之島公会堂とともに大正期に建てられた2大公会堂建築といわれています。平成29年7月1日で100周年という歴史ある建物で国の重要文化財で、横浜三塔のひとつ。

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神奈川県庁本庁舎

神奈川県庁本庁舎は、昭和3年に建築された4代目の県庁庁舎で、国の登録有形文化財。実際に知事が執務する現役の庁舎としては、大阪府庁本館に次いで2番目に古い建物。現代建築に和風の瓦屋根を載せた昭和初期に流行した「帝冠様式」建築の先駆けとといわれ、日本大通りのシンボル的存在に。横浜三塔のひとつ「キングの塔」。

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横浜税関

横浜市街、関内地区のほぼ中央、新港橋の南詰に位置する横浜税関。アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと修好通商条約(安政の5ヶ国条約)を締結した翌年、1859(安政6)年の横浜開港と同時に「神奈川運上所」(後に「横浜運上所」と改称)を開設したのが前身です。横浜三塔のひとつ「クイーン」。

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中央大橋

中央大橋は、八重洲通り(東京都道463号上野月島線中央大橋支線)が通る隅田川に架かる橋で、その名の通り、中央区の新川2丁目と佃1丁目を結んでいます。隅田川では千住汐入大橋(平成18年架橋)に次いで新しい橋で、平成5年8月26日、レインボーブリッジと同日の開通。

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新大橋

隅田川をまたぐ新大橋通り(東京都道・千葉県道50号東京市川線)に架かる橋。中央区日本橋浜町2・3丁目と江東区新大橋1丁目を結ぶ橋で昭和52年に完成。もともとは、元禄6年12月7日(1694年1月4日)に当時「大橋」と呼ばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と名づけられました。架橋の回数は江戸時代に20回を超えています。

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日本郵船氷川丸

山下公園に係留されたかつての客船・氷川丸は、昭和5年、新造貨客船としてシアトル航路に就航、太平洋を254回横断し「太平洋の女王」との別名もある歴史ある船。喜劇王チャップリンなど、多彩な船客の足として活躍した船は国の重要文化財、経済産業省の近代化産業遺産に指定され、日本郵船氷川丸として公開されています。

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山下公園

横浜港に面した1kmほどに、芝生の広場やベンチが置かれたプロムナードが続く山下公園。もともとはフランス波止場があった場所で、関東大震災の復興事業として瓦礫で造成された日本初の臨海都市公園(昭和5年開園)。関東大震災の際に生まれた瓦礫類はここに集められたのです。日本の歴史公園100選、日本の都市公園100選に選定。

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山下公園・水の守護神像

山下公園の日本郵船氷川丸の係留地に近い、中心に噴水「水の守護神像」があります。この噴水、実は、横浜と姉妹都市を結ぶアメリカ合衆国カリフォルニア州のサンディエゴ(San Diego)から寄贈されたものです。夜になるとライトアップされ、港ヨコハマの気分をさらに盛り上げてくれます。

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清洲橋

清洲橋(きよすばし)は、関東大震災の復興事業で造られた全長186.2mの自碇式吊橋(じていしきつりばし)で、昭和3年に完成。永代橋(えいだいばし)とともに、隅田川を代表する美橋として知られ、河口に位置する永代橋が男性的で雄大なデザインであるのに対し、上流に位置する第2橋梁の清洲橋は、女性的な優美さで対比をなしています。

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山下公園・西洋理髪発祥の地碑

山下公園の一角に「ZANGIRI」と刻まれた白亜の像が立っています。意外に知られていませんが、これが西洋理髪発祥の地碑。日本初の西洋理髪店(理容室=Hair Dressing salon)は、元治元年1月下旬(1864年3月)に外国人居留地(山下居留地)70番で誕生。「西洋理髪店事始め」は横浜の居留地だったのです。

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山下公園・かもめの水兵さん歌碑

昭和12年に発表された童謡『かもめの水兵さん』。作詞者の武内俊子は、ハワイに旅行する叔父・足利瑞義(あしかがずいぎ/福山・勝願寺住職・本願寺派勧学・本願寺執行長・龍谷大学学長)を見送るために横浜港の大さん橋に来たときのかもめを題材に作詞。山下公園の日本郵船氷川丸が見える地に歌碑が立っています。

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山下公園・赤い靴はいてた女の子像

大正11年、野口雨情作詞・本居長世作曲で発表された童謡『赤い靴』。童謡『赤い靴』の2番の歌詞には「横浜の埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って 異人さんに つれられて 行っちゃった」という歌詞があり、その歌詞をイメージして昭和54年、山下公園に造られたのが「赤い靴はいてた女の子像」です。

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