4月第2日曜、5月の三社祭、11月3日(文化の日)、東京都台東区の浅草寺で『白鷺の舞』が奉納されます。浅草寺舞保存会と浅草観光連盟が主催する行事で、昭和43年11月に明治100年(東京100年)を記念して、『浅草寺慶安縁起絵巻』に記載される祭礼行列をモチーフに、浅草観光連盟によって創始された行事。
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2019年4月20日(土)、東京都台東区の隅田公園で『浅草流鏑馬』(あさくさやぶさめ)が行なわれます。江戸時代に浅草神社(三社権現)の正月行事として行われていた流鏑馬を、昭和58年に観光行事として復活させたもの。鹿の形をした的に弓を引く草鹿(くさじし)、馬上から的を射る流鏑馬に分かれて行なわれます。荒天時中止。
2023年3月18日(土)~4月9日(日)、東京都墨田区の墨田区立隅田公園で『第41回墨堤さくらまつり』を開催。隅田川の川沿いに続く隅田公園ですが、浅草側(台東区側)だけでなく、墨田区側にも注目。夜桜見物が可能で、地元町会の模擬店や向嶋墨堤組合の芸妓茶屋、銘品名店会、観光協会のブースなども出店。
2023年3月17日(金)〜4月9日(日)/予定(開花状況で変更あり)、東京都台東区の上野恩賜公園(上野公園)で『うえの桜まつり』が開催されます。一帯には約1200本の桜があり、開花時には多くの花見客で賑わいます。『うえの桜まつり』期間中は、1000個のぼんぼりが吊され、夜桜鑑賞(17:00~20:00)も可能です。
江戸時代、家康に信任が厚かった天海僧正が吉野山から東叡山寛永寺創建の後に移植した山桜が起源という上野恩賜公園の桜。「東都第一の花の名所」といわれましたが当時の桜は山桜です。現在は公園中通りなどにソメイヨシノを中心に800本の桜が植栽され、「日本さくら名所100選」にも選定されています。例年開花時期には『うえの桜まつり』が開催されます。
東京スカイツリー(R)とのコラボが楽しめるのが浅草界隈の隅田川沿いの両岸に咲く隅田公園の桜。ソメイヨシノを始め、オオシマザクラ、サトザクラなど隅田区側に343本、台東区側に600本ほど、あわせて1000本もの桜が並木となって咲き乱れます。江戸時代から桜の名所として名高い場所です。
2019年3月21日(木・祝)〜4月7日(日)、東京都台東区の隅田公園で『隅田公園桜まつり』が開催されます。隅田公園内にはソメイヨシノ、オオシマザクラ、サトザクラなど約510本の桜があり、例年3月下旬から4月上旬にかけて美しいピンクの花が隅田川両岸を彩どります。東京スカイツリー(R)とのコラボは、被写体に絶好。
毎年3月18日、東京都台東区の浅草寺で浅草寺本尊示現会「金龍の舞」奉演が行なわれます。寺伝によれば、推古天皇36年(628年)3月18日に、宮戸川(現在の隅田川)から浅草寺の本尊観世音菩薩が出現したといわれるこの日を記念し、浅草寺では示現会としての法要を行ない、当日「金龍の舞」が奉納されます。
1月6日9:30〜11:50(開場8:00)、東京都江東区有明の東京ビッグサイト(東展示場東側埋立地)で『東京消防庁出初式』が行なわれます。明暦の大火後の万治2年(1659年)1月4日、時の老中・稲葉伊予守正則が定火消総勢4隊を率いて、上野東照宮前で「出初」(でぞめ)を行なったのに始まる歴史ある出初式。
東京都港区、増上寺周辺に広がる公園が芝公園。正式には都立芝公園、港区立芝公園の総称です。元々は増上寺境内の敷地を公園としたもので、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で、塔頭などの廃寺となった境内地を明治6年10月19日に公園としたもの。戦後の政教分離により、増上寺境内の部分が除かれ、環状の公園となっています。
大川橋蔵や北大路欣也主演のテレビドラマ『銭形平次』(ぜにがたへいじ)は、野村胡堂(のむらこどう)の小説『銭形平次捕物控』が原作。主人公の銭形平次こと岡っ引の平次は、神田明神下に住むという設定。というわけで神田明神(正式名は神田神社)境内に銭形平次の碑、八五郎の碑が立っています。
東京都台東区の上野公園、不忍池近くに鎮座する神社。主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)ですが、菅原道真が祀られていることから天満宮にもなっていて、中世から五條天神と呼ばれていました。社伝によれば、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際に創建したと伝えられています。
東京都江戸川区の江戸川河川敷(都立篠崎公園先)で開催される『江戸川区花火大会』。趣の違う8つのテーマで構成され、テーマのイメージに沿ったBGMに乗せて1万4000発が夜空に打ち上がります。例年8月上旬、第1週の土曜日19:15〜で、江戸川区側だけで90万人、対岸の千葉県市川市側でも50万人の人出で、目下、日本一の観客動員数です。
東京都文京区にある小石川植物園。正式名は東京大学大学院理学系研究科附属植物園で、植物学の研究・教育を目的とする東京大学の教育実習施設です。その前身は、江戸時代初期の貞享元年(1684年)、白山台地にあった第5代将軍・徳川綱吉の別邸・小石川御殿(白山御殿)に造られた小石川御薬園。国の名勝及び史跡にもなっています。
武蔵野台地南端の湧水をせきとめた、約4万平方メートルもの広大な湧水池が東京都大田区南千束にある洗足池(せんぞくいけ)。清水窪弁財天の湧水など、周囲の湧き水を池に湛えています。現在は大田区立の公園となり、池では手漕ぎボート(洗足風致協会運営)も楽しめます。
東京都台東区谷中にある岡倉天心記念公園は、東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立にかかわり、また日本美術院を創設した岡倉天心の旧居跡。公園といっても710平方メートルの児童公園規模のもの。それでも明治31年10月15日、ここに日本美術院が開設され、明治39年に茨城県五浦に移転するまで、日本美術の中心的な場所だったのです。
東京都千代田区紀尾井町の清水谷公園にあるのが大久保利通哀悼碑。明治11年5月14日朝、大久保利通は石川県士族・島田一郎(しまだいちろう)ら6人の不平士族によって暗殺されました(紀尾井坂の変)。明治21年5月、西村捨三、金井之恭、奈良原繁らによって紀尾井坂に「贈右大臣大久保公哀悼碑」が建立されました。
江戸時代、紀伊(紀州徳川家)、尾張(尾張徳川家)、井伊(井伊家)のそれぞれの屋敷があった東京都千代田区紀尾井町にある公園。紀州徳川家と井伊家の境からは清水が湧き出し、一帯は清水谷と称されていました。明治23年に一帯の土地が東京市に寄贈され、清水谷公園として整備。昭和40年に千代田区に移管され、現在は区立公園になっています。