【マンホールで知る町自慢】 横浜市戸塚区

横浜市戸塚区のマンホールの絵柄は正月2日(往路)・3日(復路)に東海道戸塚宿を激走する『箱根駅伝』(正式名は東京箱根間往復大学駅伝競走)の駅伝ランナーです。

広重の描いた絵を現代風にアレンジ

戸塚宿は東海道五十三次の宿場町。日本橋から品川、川崎、神奈川、保土ヶ谷と数えて5番目の宿場です。
朝、江戸・日本橋を発ってほぼ十里半(約42km)。
昔の旅人にとって戸塚宿は1泊目の宿泊地となり、賑わいました。

戸塚宿の成立は、1604年(慶長9年)で、隣宿の保土ケ谷宿、藤沢宿成立の3年後でしたが、鎌倉への遊山の道、大山参詣の道の分岐の宿としても栄えました。

マンホールのモチーフとなっているのは、『東海道五拾三次之内 戸塚 元町別道』。天保4年(1833)頃、初代歌川広重が描いた浮世絵です。

戸塚宿の元町に架かる吉田橋の手前を左に曲がると鎌倉に向かう鎌倉道。
「こめや」という茶店の店先の縁台に馬から飛び降りる旅人。
「こめや」で出迎える茶屋女の頭上には大山を始め種々の講中の札が下がっています。
(現在の「JTB提携」といった意味合いの札です)

広重『東海道五十三次 戸塚』
歌川広重『東海道五拾三次之内 戸塚 元町別道』。吉田橋は現在吉田大橋という交差点名に名を残しています

「花の2区」だからこそ、マンホールの絵柄に!

『箱根駅伝』では1区(大手町〜鶴見中継所/21.3km)、2区(鶴見中継所〜戸塚中継所/23.1km)で大手町から戸塚中継所は、44.4km。
トップチームは大手町から戸塚まで2時間9分前後で駆け抜けていますから、時速に換算すると20km/hという俊足ぶりがわかります。

しかも2区は平地区間では最長距離ということもあって「花の2区」と呼ばれるエース区間。
「1区のスピードランナー達が僅差で鶴見の中継所に飛びこんでくるため、序盤の流れを引き寄せたい各校はエースを投入してくる事が多い」のだとか。
現在は解説で活躍の瀬古利彦さんも現役時代(早大)、この2区を走っています。

戸塚駅コンコース
戸塚駅コンコースに置かれた広重の絵
戸塚宿には本陣が2軒、脇本陣が3軒あり、内田本陣跡は現在のバスセンター交差点あたりにありました

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(一社)プレスマンユニオン事務局長。 全国を取材するかたわら、デザインマンホールに注目しています。なぜなら、そこには郷土の自慢が凝縮されているから。何気ない足下のマンホールが、実は地域活性にとって重要な役割を担っていることから、ウエブマガジン「マンホールStyle」を運営中です!