広重・英泉の浮世絵に見る 永代橋
1698年(元禄11)年8月、隅田川に架橋された永代橋。富岡八幡宮の鎮座する永代島(えいたいじま)に通じる橋で、赤穂浪士の吉良邸討ち入りの際にも使われたという木橋です。大渡し(深川の渡し)のあった場所に架けられた隅田川4…
1698年(元禄11)年8月、隅田川に架橋された永代橋。富岡八幡宮の鎮座する永代島(えいたいじま)に通じる橋で、赤穂浪士の吉良邸討ち入りの際にも使われたという木橋です。大渡し(深川の渡し)のあった場所に架けられた隅田川4…
明治初年の神仏分離、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で、廃寺となってしまった富岡八幡宮別当(別当=神社を管理する寺)・永代寺。永代寺境内では、江戸時代に11回も成田山新勝寺の不動明王像「出開帳」も行なわれた名刹で、見事な庭園…
御茶ノ水駅から、ニコライ堂と湯島聖堂、2つの聖堂を結ぶ聖橋を渡ると、湯島聖堂。御茶ノ水と湯島は隣接していたことに改めて気づきますが、そんな湯島の端に建つのが、江戸幕府が昌平坂学問所を設置した、湯島聖堂です。脇を流れる神田…
年配の人だと神田明神といえば、明神下に住んだ銭形平次を思い浮かべるかもしれません。銭形平次は実在の人物ではありませんが、平次の暮らした明神下から男坂の階段を上ると、眺めの良い、神田明神の境内です。この男坂の石段も日本橋・…
受験シーズンともなると合格祈願に訪れる人が多い湯島天神(正式名は湯島天満宮)。江戸時代には不忍池を眼下に、寛永寺を眼前にする高台の景勝地という地の利を活かし、料理茶屋が脇を固めて文人墨客が集う場所となっていました。江戸屈…