広重&豊国 浮世絵に描かれた増上寺

徳川家康が江戸入府の際に、住職に出会ったことが寛永寺と並ぶ徳川将軍家尊崇の寺となったとも伝えられる芝・増上寺。江戸時代には広大な敷地を誇る大寺院で、東海道側に設けられた大門がその玄関口として機能していました。大門は現存し、周辺の地名も芝大門として残されています。
 

広重『東都名所 芝神明増上寺全図』

 

増上寺境内PhotoMap
増上寺境内PhotoMap

広重『東都名所 芝神明増上寺全図』
初代広重の描いた図。蔦屋吉蔵版。広重は師である豊広の死後、美人画や花鳥図から転身し、独自の画風で発表した『東都名所』シリーズが評判を呼びます。神宮(伊勢神宮)の江戸の支社である芝大神宮、大門、三解脱門、大殿の位置関係は今も変わりません。東京・芝のランドマークにもなっている大門。明治初頭の廃仏毀釈の際に増上寺は、多くの子院・塔頭(たっちゅう)とともに大門を失い、譲り受けた東京府(現在の東京都)が管理していました。戦後、伽藍整備を進める増上寺が東京都に返還を求めていましたが、なんと、この大門、都の財産目録に見当たらず、40年間ほど、所有者が宙に浮いていたのです。2016年春、138年ぶりに無償で増上寺に返還されました。

広重『東都名所 芝増上寺』

広重『東都名所 芝増上寺』
東海道側から眺めた三解脱門。大門から大殿本堂に至る参道は、穢土(えど=我々の世界)から極楽浄土に至る世界を表現していました。三解脱門は、1622(元和8)年、徳川幕府の助成により幕府大工頭・中井正清らにより建立。解脱門とは三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門のことで、楼上に釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されています。日比谷通りに面した三解脱門ですが、今もこの錦絵の雰囲気が十分に残されています。
  
 

広重『東海道名所之内 芝増上寺』

広重『東海道名所之内 芝増上寺』
東海道側(現在の浜松町駅側)から増上寺大門方面を眺めたところ。現在は背後に東京タワーが。明治4年の新政府の上知令で寺領が没収され、子院・塔頭を失った増上寺は、明治11年、維持管理ができなくなったとして当時あった4つの門を東京府に寄付したのです。下の江戸切絵図からもわかるように、大門から先は増上寺の寺領で、愛宕山まで寺町が続いていたことがわかります。
 
 

広重、豊国『江戸自慢三十六興 増上寺大鐘』

広重、豊国『江戸自慢三十六興 増上寺大鐘』

江戸時代の川柳に「今鳴るは芝か上野か浅草か」と謳われた増上寺、寛永寺、浅草寺の鐘。なかでも増上寺の大梵鐘は、1673(延宝元)年にあまりの大きさに7回の鋳造を経て完成した東日本で最大級の鐘で、江戸三大名鐘に数えられています。高さ3m、重さは15tという巨大な梵鐘は、4代将軍・徳川家綱の命で鋳造された、江戸で初めての梵鐘。錦絵に描かれた立派な鐘楼堂は1633(寛永10)年の建立。残念ながら建物は現存していませんが、梵鐘は今も往時のものです。大晦日、「鐘つき券」を入手すれば、除夜の鐘で、この大鐘を撞いて煩悩を吹き飛ばすことができます。「鐘つき券」は、例年12月1日9:00〜会館2階寺務所にて取扱が開始されます(詳しくは増上寺公式HPを参照)。

江戸切絵図に見る増上寺

幕末の愛宕山・増上寺周辺地図
幕末の愛宕山・増上寺周辺地図
 

増上寺
名称 増上寺/ぞうじょうじ
所在地 東京都港区芝公園4-7-35
関連HP 増上寺公式ホームページ
電車・バスで 都営地下鉄御成門駅から徒歩3分
ドライブで 首都高速芝公園ランプから500m
駐車場 10台/無料、または、東京タワーパーキングセンター・地下(200台/有料)を利用
問い合わせ 増上寺 TEL:03-3432-1431
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