横浜・山手の高台にあるベーリック・ホールは、イギリス人貿易商バートラム・ロバート・ベリックの邸宅として、昭和5年に竣工した洋館。山手外国人住宅では最大規模の建物で、設計は山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場などを手掛けたアメリカ人建築家J.H.モーガンです。平成13に横浜市が取得し、建物と庭園を一般公開しています。
J.H.モーガン建築のスパニッシュ様式の洋館
戦前は住宅として、戦後(ベリックの没後)はカトリックのマリア会に寄贈され、マリア会が運営するセント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。
「ベーリック・ホール」(Berrick-Hall)という名前も、マリア会の命名。
スパニッシュ様式で、玄関の3連アーチ、イスラム様式の流れをくむクワットレフォイル(四葉模様)と呼ばれる小窓、瓦屋根を有する煙突など意匠を凝らした外観が印象的。
1階は応接間や食堂、居間と居間に続くパームルーム(横浜港を見渡す北側に)、2階には主人・婦人・子息と来客用の寝室と浴室がありました。
ベリックの子息は、建物完成時には20歳でしたが、「ベーリック・ホール」では男の子の部屋として再現されています。
建物が建つのは、元町公園の一部で、ベーリック・ホールは横浜市認定歴史的建造物に選定。
元町公園では、エリスマン邸と山手234番館も公開されています。
なお、「ベーリック・ホール」は公共的な建築物ですが、結婚式などに利用することも可能です。
バートラム・ロバート・ベリック
バートラム・ロバート・ベリック(Bertram Robert berrick)は、1873年(明治6年)、ロンドン生まれ。
文房具や機械などを扱う貿易商社「ベリックブラザー商会」を継ぐため、25歳のときに来日。
日本から和紙や絹を欧州に輸出し、欧州からは化粧品や香水、文房具を輸入するなど事業は順調に発展し、1919年(大正8年)に「ベリック商会」に商号を改め、国内では神戸、大阪に、海外にもロンドン、パリ、ブリュッセル、ウィーンに支店を構えていました。
さらに1932年(昭和7年)には、フィンランドの名誉領事職にも就任しています(ベリック邸はフィンランドの領事館としても使われました)。
山手の邸宅は、52歳の時にジェイ・ハーバード・モーガン(Jay Hill Morgan)に設計を依頼(横浜競馬場一等馬見所完成の翌年、昭和5年に竣工)。
第二次大戦の勃発でカナダのバンクーバーに移住し、1952年(昭和27年)、カナダで没。
文房具や機械などを扱う貿易商社「ベリックブラザー商会」を継ぐため、25歳のときに来日。
日本から和紙や絹を欧州に輸出し、欧州からは化粧品や香水、文房具を輸入するなど事業は順調に発展し、1919年(大正8年)に「ベリック商会」に商号を改め、国内では神戸、大阪に、海外にもロンドン、パリ、ブリュッセル、ウィーンに支店を構えていました。
さらに1932年(昭和7年)には、フィンランドの名誉領事職にも就任しています(ベリック邸はフィンランドの領事館としても使われました)。
山手の邸宅は、52歳の時にジェイ・ハーバード・モーガン(Jay Hill Morgan)に設計を依頼(横浜競馬場一等馬見所完成の翌年、昭和5年に竣工)。
第二次大戦の勃発でカナダのバンクーバーに移住し、1952年(昭和27年)、カナダで没。
ベーリック・ホール DATA
名称 | ベーリック・ホール/べーりっく・ほーる Berrick-Hall |
所在地 | 神奈川県横浜市中区山手町72 |
関連HP | ベーリック・ホール公式ホームページ |
電車・バスで | みなとみらい線元町・中華街駅から徒歩10分。JR石川町駅から徒歩15分 |
ドライブで | 首都高速横浜公園ICから約2km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | TEL:045-663-5685/FAX:045-663-5685 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |