菱川師宣記念館30周年記念特別展『浅井忠・バルビゾン派の画家たち』|2017

日本洋画の先駆者である浅井忠(あさいちゅう)は、明治33年、フランスに留学し、バルビゾン派の画家から洋画を学び、日本画壇の発展に尽力。佐倉藩士の子として生まれ、明治時代後期に洋画家として活躍した浅井忠と、バルビゾン派の画家たちの芸術による日本画壇への影響を紹介する意欲的な特別展です。TOPの画像/垣根に沿って草を食む羊

日本のミレーとiわれた浅井忠と、浮世絵から始まる日本画壇の変遷を紹介

浅井忠『漁婦』/浅井忠が、明治29年(1896)12月から翌春にかけて房総を旅し、白浜の根本海岸での取材をもとに制作し、明治30年(1897)の第8回明治美術会展に出品

バルビゾン派(École de Barbizon)は、1830年〜1870年頃にかけて、フランスで発生した絵画の一派で、バルビゾン村やその周辺に画家が住んだことが名の由来。有名なミレー『落穂拾い』に代表されるような自然主義的な風景画や農民画が描かれました。

当時、鋭い感受性をもって時代の出来事などをテーマとしたロマン主義が主流であったフランス画壇において、自然観察を重視し、身近な森や農村風景を写実的に描こうとする写実主義が巻き起こり、工部大学校のお雇い外国人教師で、日本人に洋画を指導したアントニオ・フォンタネージ(Antonio Fontanesi)、ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-François Millet)、ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet)らによるバルビゾン派が誕生しました。

一方では、そのバルビゾン派の主題を受け継ぎつつも、日本固有の絵画芸術である浮世絵に影響を受け、明るい描法を取り入れたクロード・モネの作品『印象・日の出』に代表される印象派も誕生しています(印象派以前は、静物画や肖像画はもちろん、風景画でさえもアトリエで描かれていました)。
輸入品の包み紙としてフランスに入ってきた日本の浮世絵(ジャポニズム)は、モネの『サン・タドレスのテラス』など印象派に大きな影響を与えています。

千葉県鋸南町(きょなんまち)にある菱川師宣記念館(ひしかわもろのぶきねんかん)は、浮世絵を創始した菱川師宣の記念館として運営されていますが、開館30周年を記念し、平成28年度は千葉県ゆかりの浅井忠や、バルビゾン派の画家たちの芸術による日本画壇への影響を紹介し、浮世絵から始まる日本画壇の変遷を紹介する特別展を開催。

浅井忠
ミレーが、『落ち穂拾い』を描いたのは1857年のこと。浅井忠は黒田清輝とともに日本近代洋画界の先駆者といわれますが、活躍の陰には、浅井が生涯の師と仰いだアントニオ・フォンタネージの存在がありました。明治9年(1876)、明治政府は外国人教師を招いて工部美術学校を創立。浅井忠がその第1期生として入学したのは、20歳の秋のこと。浅井忠は『落ち穂拾い』を目にして、衝撃を受け、洋画の道に進みます。

明治21年、上野に東京美術学校が創設の際には、フェノロサとその弟子・岡倉天心の強い主張で、西洋画科と洋風彫刻科は設置が見送られます。そうしたなかで、浅井忠は「明治美術会」を結成し、洋画の世界を日本に定着させていきます。秋の収穫を迎えた農夫の姿『収穫』を描き、新しい時代を築き上げたのです。

明治29年、政府は東京美術学校に、工部美術学校の廃止以来、13年ぶりに洋画科を復活。明治33年にはフランスに留学しています。
安井曽太郎、梅原龍三郎、津田青楓、向井寛三郎らは浅井忠の教え子です。


 

特別展『浅井忠・バルビゾン派の画家たち』 DATA

開催日 2017年1月21日(土)〜3月5日(日)、月曜(祝日の場合は翌日)休
時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
料金 大人600円、小・中・高校生500円
所在地 千葉県安房郡鋸南町吉浜516
場所 菱川師宣記念館
電車・バスで JR保田駅から徒歩15分
ドライブで 富津館山道路鋸南保田ICから約2.3km(5分)
駐車場 100台/無料
問い合わせ TEL:0470-55-4061/FAX:0470-55-1585
関連HP 鋸南町公式ホームページ

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