勝浦藩主であった植村家の菩提寺。1634(寛永11)年、勝浦領主・植村泰勝が死去したとき、勝浦城内にあった浄林寺を移し、泰勝の幼名覚翁丸をとって出水山覚翁寺としました。本堂には波の伊八(武志伊八郎信由)の欄間彫刻が残されています。
勝浦藩主・植村家の菩提寺
出水山の名の通り、境内からは茶の湯に最適という水が湧き、別名「茶水寺」とも呼ばれています。
境内には植村氏3代・泰朝、4代・忠朝、5代・正朝の墓・宝筺印塔(ほうきょういんとう)があり、勝浦市の文化財に指定されています。
『勝浦ビッグひな祭り』では山門前に特設雛壇が設置され、多くの見学客で賑わいます。
勝浦藩主・植村家のルーツは三河
植村氏は三河・松平時代からの徳川家の旗本。初代の植村泰忠は、三方ヶ原の戦いに鳳来寺山の僧兵を率いて徳川家康に加勢。家康の関東入りに従い、上総国夷隅郡勝浦3000石を賜り、関ヶ原の戦い後に2000石を加増されています。中世の勝浦城を廃城にし、勝浦の町の整備に尽力しています。その子・植村泰勝は、関ヶ原の戦いの前哨戦岐阜城攻略、大坂夏の陣にも従軍しています。3代の植村忠朝は、1682年(天和2年)、1万1000石の大名、上総勝浦藩主となっています。
植村氏は三河・松平時代からの徳川家の旗本。初代の植村泰忠は、三方ヶ原の戦いに鳳来寺山の僧兵を率いて徳川家康に加勢。家康の関東入りに従い、上総国夷隅郡勝浦3000石を賜り、関ヶ原の戦い後に2000石を加増されています。中世の勝浦城を廃城にし、勝浦の町の整備に尽力しています。その子・植村泰勝は、関ヶ原の戦いの前哨戦岐阜城攻略、大坂夏の陣にも従軍しています。3代の植村忠朝は、1682年(天和2年)、1万1000石の大名、上総勝浦藩主となっています。
覚翁寺 | |
名称 | 覚翁寺/かくおうじ |
所在地 | 千葉県勝浦市出水1297 |
関連HP | 勝浦市公式ホームページ |
電車・バスで | JR勝浦駅から徒歩11分 |
ドライブで | 圏央道市原鶴舞ICから約30km |
駐車場 | 5台/勝浦ビックひな祭り開催期間は守谷海岸駐車場(有料)を利用、守谷海岸駐車場~会場付近の間を無料シャトルバス運行 |
問い合わせ | 覚翁寺 TEL:0470-73-3115 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |