古代には下総国の国府があった市川市にある寺で、前身は、741(天平13)年、聖武天皇の詔により、国家鎮護のために諸国に建立された国分寺(金光明四天王護国之寺)。平安時代に、国分寺は衰退し、その後真言宗豊山派の寺として再興しました。山号も国分山で、市川七福神の毘沙門天を祀っています。
古代の国分寺の後継寺院で本堂は金堂跡に建つ
寺の再興の時期は定かでありませんが、鎌倉時代以前と推測されています。境内には下総国分氏の祖である国分五郎(国分胤通=平安時代末期の惣領千葉常胤の五男)の供養塔や阪井久良伎(さかいくらき=川柳作家、市川に僑居して継古庵と号した)の句碑、三人地蔵(里見公園から移築)があります。
昭和40年~41年に実施された発掘調査で、現在の本堂下から東西31.5m、南北19mの金堂の基壇が発見され、その基壇の中心から北西40mの現在の墓地内に東西26m、南北18mの講堂の基壇が見つかっています。
下総国分寺 DATA
名称 | 下総国分寺/しもうさこくぶんじ |
所在地 | 千葉県市川市国分3-20-1 |
営業時間 | 境内自由 |
電車・バスで | JR市川駅北口から徒歩25分。または、京成線市川真間駅から徒歩20分 |
駐車場 | 国分寺仁王門前を利用/無料 |
問い合わせ | TEL:047-371-7221 |
関連HP | 市川市公式ホームページ |
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