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千葉市ゆかりの家・いなげ(愛新覚羅溥傑氏仮寓)

明治21年、稲毛海岸が療養用の海水浴場として開設されると、東京からほどよい距離の稲毛は保養地、別荘地として注目されるようになります。「千葉市ゆかりの家・いなげ」として管理されるこの家も、そんな別荘のうちの1軒で、昭和12年には、中国清朝「ラストエンペラー」となった愛新覚羅溥儀の実弟・溥傑夫妻が、半年ほど暮らしています。

昭和12年に愛新覚羅溥傑ご夫妻が新婚生活を過ごした家

 

L字型の母屋の前には庭が配されています

大正初期に建てられた別荘は、平屋の主屋と庭の離れから構成されており、内は、漆塗りの枠の腰付障子、菱格子で飾られた欄間、高く張られた格天井などの意匠が凝らされています。居間には洋間が付いていますが、これは離れを築いた時の増築です。保養地としての稲毛の歴史を今に伝える貴重な和風別荘建築として、千葉市地域有形文化財(建造物)に登録されています。

昭和12年、愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の弟、溥傑(ふけつ)と嵯峨公爵の長女、嵯峨浩が新婚時代を過ごしたのがこの家です。溥傑は当時、千葉市作草部町(現・千葉市稲毛区天台)にあった陸軍歩兵学校に在籍した関係で、この家で暮らしたのです。

平成27年10月7日放送のNHK『歴史秘話ヒストリア』は、「満州のプリンセス 愛の往復書簡~夫婦の心をつないだ55通~」という溥傑夫妻の絆がテーマでしたが、この新婚生活をおくった家も紹介されています。

[colwrap] [col2][/col2] [col2][/col2] [/colwrap] [aside type=”normal”] 愛新覚羅溥傑(あいしんかくら ふけつ)
清朝最後の皇帝で、のちに満洲国皇帝に即位した愛新覚羅溥儀の実弟。昭和4年3月に来日し、学習院高等科に入学。昭和7年、満州国建国で兄の溥儀が満洲国執政(のちに満洲国皇帝)。昭和8年9月、陸軍士官学校本科入学、昭和10年7月に卒業、見習士官に任官。昭和12年4月3日、東京の軍人会館(現・九段会館)で嵯峨浩(さがひろ)との結婚式が行なわれ、陸軍歩兵学校に在籍中ということで稲毛で新婚生活をおくります。昭和12年9月に溥傑は満州国禁衛歩兵連隊(新京)歩兵上尉(大尉)に任官し満州に移り、10月には浩が満洲国首都新京へ渡り、ふたりの暮らしは満州国に移っています。第二次大戦後は戦犯となりますが、文化大革命後には中華人民共和国全国人民代表大会常務委員会委員となっています。 [colwrap] [col2][/col2] [col2][/col2] [/colwrap] 政略結婚ながら仲睦まじかった愛新覚羅溥傑、浩ご夫妻
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千葉市ゆかりの家・いなげ(愛新覚羅溥傑仮寓)
名称 千葉市ゆかりの家・いなげ(愛新覚羅溥傑仮寓)/ちばしゆかりのいえ・いなげ(あいしんかくらふけつかぐう)
所在地 千葉県千葉市稲毛区稲毛1-16-12
関連HP 千葉市公式ホームページ
電車・バスで 京成稲毛駅から徒歩5分、JR総武本線稲毛駅から徒歩15分、JR京葉線稲毛海岸駅からタクシーで5分
ドライブで 東関東自動車道湾岸千葉ICから約3km
駐車場 3台/無料
問い合わせ 千葉市ゆかりの家・いなげ TEL:043-244-5370
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 
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作成者: プレスマンユニオン編集部

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください! 

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