東京でもっとも歴史を誇る寺は、浅草寺(せんそうじ)といわれていますが、そのルーツとなるお堂が駒形橋のたもと近くにある駒形堂。 『浅草寺縁起』によれば、浅草寺は兄弟が隅田川で漁をしていた際に1躰の仏像が網にかかったので自ら出家、屋敷を寺に改めたのが始まりと伝えますが、その仏像が陸に上げられた地が駒形堂です。
本尊が馬頭観音なのは、古代、この地が牧だったことに関係!?
『浅草寺縁起』が伝える浅草寺の由来は、628(推古天皇36)年、3月18日の早朝、檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)兄弟が江戸浦(現・隅田川)で漁をしている最中に聖観世音菩薩が網にかかったことに始まります。
942(天慶5)年、将門の乱によって荒廃していた金龍山浅草寺を再建した平公雅(たいらのきんまさ)が円仁(慈覚大師)作の馬頭観音を祀るためお堂を建立。檜前浜成・竹成兄弟の檜前(ひのくま)は、姓ではなく、地名。
檜前(ひのくま)とは古代の浅草周辺の地名で、飛鳥時代に檜前の馬牧(ひのくまのうままき)という官営の牧(まき=牧場)があったと推測されています。奈良の飛鳥(現・明日香村)に住み着いた渡来系氏族・檜隈氏(ひのくまうじ)との関連も推測される地名ですが、いずれにしろ、古代の浅草の土地が馬とは切っても切れない関係だったことがわかります。
元禄年間(1688年~1704年)までは、川に面して東向きに建っていましたが、現在は川を背にして、西向きに建っています。これは江戸時代の大火でたびたび焼失したため、1742(寛保2)年の再建時から西向きにしたのだとか。
現存するお堂は、平成15年の再建。旅の安全祈願にも最適な馬頭観世音菩薩が本尊として祀られています。
境内に立つ「戒殺碑」(かいさつひ)は、隅田川の南は諏訪町(現・駒形)から、北は聖天町(現・浅草7丁目)までの漁を禁じたことを記した碑で、1693(元禄6)年の建立。
「馬の首」の意味する梵名・ハヤグリーヴァに由来し、ヒンドゥー教では最高神ヴィシュヌの異名で、最高神ヴィシュヌが馬の頭に変化して敵を倒したとされる神話を起源とします。観音菩薩の変化身(へんげしん)のひとつで、六観音の一尊。人々の無智・煩悩を排除し、畜生道に迷うことから救済してくれるのです。観音としては珍しい忿怒の姿をしていて、密教では憤怒相の姿を区別して馬頭明王とし、八大明王にも数えられています。「馬頭」という名称から、民間信仰では馬の守護仏としても祀られています。現代ではペット守護、旅行安全の御利益も。
駒形堂の縁日
毎月19日=馬頭観音の縁日/御開扉され、本尊の馬頭観世音菩薩(木彫立像28.8cm)に参詣可能
4月19日=『大祭法楽』/10:00〜4月の縁日が大祭。御開扉され、法話も。本尊の馬頭観世音菩薩に参詣可能
切絵図に見る江戸時代の駒形堂
駒形堂 DATA
名称 | 駒形堂/こまがたどう |
所在地 | 東京都台東区浅草2-2-3 |
関連HP | 浅草寺公式ホームページ |
電車・バスで | 都営地下鉄浅草線浅草駅から徒歩1分。東京メトロ銀座線・東武スカイツリーライン・つくばエクスプレス浅草駅から徒歩4分 |
ドライブで | 首都高速入谷ランプから1.5km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | TEL:03-3842-0181(平日10:00〜16:00) |
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