品川神社

品川神社

文治3年(1187年)、源頼朝が安房国の洲崎神社(すさきじんじゃ=館山市洲崎)から、海上交通安全と、祈願成就の守護神として、天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)を勧請して祀り、品川大明神としたのが始まりという古社。東京十社のひとつで、東海七福神の大黒天を祀っています。

徳川家康が関ヶ原の戦いの戦勝を祈願

品川神社
双龍鳥居
品川神社
神楽殿

治承4年(1180年)8月、源頼朝は、石橋山の合戦に敗れ、真鶴から海を渡って安房国へと逃れ、再起を果たしていますが、再起にあたって祈願したのが洲崎神社。
『吾妻鏡』の寿永元年(1182年)旧暦8月11日の条では、頼朝の妻・北条政子の安産祈願のため、安房国の豪族・安西三郎景益が奉幣使として洲崎神社へ派遣されたことが記されています。

源頼朝は洲崎明神を尊崇し、品川神社以外にも、建久2年(1191年)に現在のJR神奈川駅近くに洲崎大神(横浜市神奈川区)を建立しています。

慶長5年(1600年)、徳川家康が関ヶ原の合戦に向かう際に、品川神社を参拝して戦勝祈願し、戦勝後、祈願成就の御礼として仮天下一嘗の面、葵神輿などを奉納しています。
江戸時代には徳川将軍家の庇護を受け、社紋も徳川家家紋の「丸に三つ葉葵」が許されたのです。

寛永16年(1639年)、3代将軍・徳川家光が東海寺を創建した際には、その鎮守社となりました。

境内入口の階段前にある石鳥居「双龍鳥居」(品川区の文化財)には左の柱に昇り龍、右の柱に降り龍が彫刻された見事なもの。
高円寺(杉並区高円寺南4)の双龍鳥居、阿佐ヶ谷の馬橋稲荷神社(まばしいなりじんじゃ/杉並区阿佐谷南)の双龍鳥居とともに「東京三鳥居」ともいわれています。

品川富士に一粒萬倍の泉と境内のパワースポットにも注目!

品川神社
拝殿
品川神社
品川富士

境内入口には東京ではもっとも比高が高い(15m)という「品川富士」(品川区の文化財)が築かれています。
これは北品川の丸嘉講が明治2年に築いたもので、現在でも毎年7月上旬に富士講の信者によって山開きが行なわれています。

また本殿の背後には板垣退助の墓がありますが、以前にはここに東海寺の塔頭(たっちゅう)、高源院があった場所。
板垣退助は生前に高源院に墓を建てることを希望しており、この地に埋葬されたもの。
高源院は関東大震災で被災した後、世田谷の烏山に移転し、跡地が城南中学校となりましたが、板垣退助の墓所(邦光院殿賢徳道圓大居士)だけは移転せずに残されています(品川神社の境外ですが本殿背後から参詣できます)。

赤い鳥居の立ち並ぶ境内社の阿那稲荷神社の奥には「一粒萬倍の泉」が湧き、金運上昇のご利益があるのだとか。

品川神社に奉納される『品川神社の太太神楽』(しながわじんじゃのだいだいかぐら)は、東京都の無形民俗文化財に指定されています。
徳川家康が関ヶ原の合戦に向かう際に勝利を祈願して奉納したと伝われるもの。

江戸時代から伝わる古い面をつけた舞人が12座の舞を演じ、4月の『春の大祭』では四方拝(しほうはい)の舞、稲荷(いなり)の舞など6座が奉納されています。

品川神社
境内社の阿那稲荷神社
品川神社
一粒萬倍の泉

品川神社 DATA

名称 品川神社/しながわじんじゃ
所在地 東京都品川区北品川3-7-15
関連HP 品川区公式ホームページ
電車・バスで 京浜急行新馬場駅から徒歩3分。JR品川駅から徒歩15分
駐車場 なし
問い合わせ TEL:03-3474-5575/FAX:03-3474-5599
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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