東京ミッドタウンに隣接する港区立の公園。江戸時代には長州藩・松平大膳大夫(毛利家)の下屋敷があった場所で、「清水園」と呼ばれる大名庭園のあった場所。檜町という名は、毛利邸の南側に見事な檜(ヒノキ)林があったことから「檜屋敷」と呼ばれていたことに由来。屋敷は3万6800坪(12ha)という広大な広さでした。
長州藩下屋敷、帝国陸軍、米軍キャンプ、防衛庁と目まぐるしく変化
長州藩は、1864(元治元)年7月19日、京で起きた禁門の変で、幕府側と軍事的衝突。
長州藩の上屋敷(桜田藩邸)と下屋敷(麻布藩邸)は、没収となり御殿や蔵などの建物はすべて破却されています。
明治維新後の明治7年、長州藩江戸下屋敷は第1師団歩兵第1連隊の駐屯地となり、戦後は米軍の接収、さらには防衛庁の敷地と、激動の歴史を歩んできました。
歩兵第1連隊は、明治10年に西南戦争に従軍、さらには乃木希典(のぎまれすけ)を連隊長にして日露戦争の旅順攻囲戦にも従軍しています。さらに昭和11年2月26日に勃発した二・二六事件でも中心的な役割を担っています。
アートな遊具も配されたモダンな公園に変化
檜町公園は、防衛庁の敷地以外の旧長州藩下屋敷の土地を昭和38年に都立公園として開園したもの。
昭和43年に区立公園に移管され、防衛庁の市ヶ谷転出と平成19年の東京ミッドタウンの誕生によって、大幅に整備されています。
国立新美術館、サントリー美術館(東京ミッドタウン)、森美術館が取り囲む三角地帯を「六本木アートトライアングル」と通称していますが、そのサントリー美術館(東京ミッドタウン)に隣接するということもあって、遊具もアートを感じさせるスタイルとなっています。
高須賀昌志のアートである、「SANJIN やまのかみさま」(すべり台)、「FUJIN かぜのかみさま」(ブランコ)、KAIJIN うみのかみさま」(プレイジム)といった具合。
さらに山口県萩市から市の花「椿」と市の果樹「夏みかん」が寄贈され、植栽されています。
江戸切絵図に見る 長州藩・松平大膳大夫(毛利家)邸
檜町公園 | |
名称 | 檜町公園/ひのきちょうこうえん |
所在地 | 東京都港区赤坂9-7-9 |
関連HP | 港区公式ホームページ |
電車・バスで | 都営大江戸線・東京メトロ日比谷線六本木駅から徒歩3分 |
問い合わせ | 赤坂地区総合支所まちづくり課 TEL:03-5413-7015 |
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