延宝4年(1676年)に架橋の筋違橋(すじかいばし)がルーツというのが神田川に架かる万世橋(まんせいばし)。江戸城三十六見附のひとつ、筋違見附門に付随する橋でしたが、明治5年、に筋違見附門が取り壊され、余った石材を利用して初代の萬世橋(よろずよばし=萬代橋)が架橋。現在の橋は昭和5年に帝都復興事業で架橋されたもの。
江戸時代には筋違見附があった交通の要衝に架かる橋
洋風石造造りで「神田の眼鏡橋」(かんだめがねばし)と称して全国的に有名だった初代の萬世橋(当初の名前は萬代橋=よろずよばし)は、明治39年に撤去され、隅田川の橋梁群と同様に関東大震災後の帝都復興の一環として、昭和5年に現在の万世橋が架けられたのです。
昭和9年には銀座〜新橋間に東京地下鉄道(現在の東京メトロ銀座線)が延伸したため、昭和5年の架橋時にはその神田川渡河工事を考えて工事が行なわれています(橋は直下を走る銀座線と一体で造られています)。
浅草駅〜上野駅間の開業を半年後に控えた昭和2年7月10日に上野駅から銀座駅への地下鉄延伸工事が開始され、神田川地下に全長30mのトンネル(日本初の川底隧道)を掘ることになりました。
トンネルが完成するまで暫定的に万世橋駅(万世橋仮停留所)がつくられ、万世橋北西側(現・エディオンAKIBA)にその入口がありました。
昭和6年11月21日に難関区間であった万世橋駅〜神田駅間が開業。
神田川の川底を通過するトンネルは、昭和5年に完成した万世橋の中央から西側の地下を通っており、東京メトロ銀座線の車窓からほんのわずかに万世橋駅の遺構を確認することができます。
有名な「肉の万世」は、昭和24年、万世橋のたもとに開業したのが社名の由来。
また鉄道院も明治45年4月1日、万世橋駅を営業させ、東京駅が開業するまでの7年間は中央線の起点駅として機能しました(万世橋駅は昭和18年に廃止)。
『江戸切絵図』に見る 筋違見附門と筋違橋
筋違見附は歴代将軍が江戸城大手門を出立し、神田橋門を通り、筋違見附門(筋違橋門)から下谷御成道をへて上野寛永寺や、西に折れて日光御成道を経て日光東照宮へ参詣する「御成道」の道筋にあたりました(二本の道が筋違見附門内で交差することから「筋違」御門の名が生まれました)。
万世橋 DATA
名称 | 万世橋/まんせいばし Mansei-bashi Bridge |
所在地 | 東京都千代田区神田須田町・外神田 |
電車・バスで | JR・東京メトロ・つくばエクスプレス秋葉原駅から徒歩5分 |
ドライブで | 首都高速神田橋ランプから約2.6km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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