護国寺

護国寺

東京都文京区大塚5丁目にある真言宗豊山派の大本山が護国寺。正式名は神齢山悉地院大聖護国寺。天和元年(1681年)、5代将軍・徳川綱吉は江戸城三の丸に暮らす生母、桂昌院(3代将軍・徳川家光の側室)の願いから、桂昌院の祈願寺として護国寺の建立を命じ、創建。本尊は桂昌院念持仏の琥珀如意輪観音(秘仏)。

幕府所有の高田御薬園に徳川綱吉が建立

護国寺
国の重要文化財に指定される本堂

開山にあたっては、碓氷八幡宮(現・上野國一社八幡宮)の別当、大聖護国寺(現・高崎市)の亮賢(りょうけん=新義真言宗の僧)を招いています。
亮賢は、卜筮(ぼくぜい=吉凶占い)の名声が高く、3代将軍徳川家光の側室・お玉の方(後の桂昌院)を占って、5代将軍・綱吉を産むことを予言したともいわれています。
幕府所有の高田御薬園の地に建立していますから、徳川将軍家が築いた寺といえるでしょう。

江戸時代後半には筑波山大御堂(坂東三十三箇所第25番札所)の別院・護持院が隣接しましたが、明治維新の神仏分離、廃仏毀釈の際に護国寺に併合されています。

幕府の祈願寺だったため、墓地を有しなかったため、明治維新後の寺院経営は苦難の道で、境内地5万坪の東側半分に宮家の墓所(豊島岡墓地)が造成され、西側の5000坪にも陸軍墓地となって寺地は大幅に縮小されています。

後に境内に国葬をもって送られた三条実美(さんじょうさねとみ)、やはり国葬だった山県有朋(やまがたありとも)、前代未聞の「国民葬」で送られた大隈重信ら明治政府の有力者や、旭日大綬章を実業家として初めて受賞した大倉財閥の設立者(鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを設立)・大倉喜八郎、三井財閥の総帥・団琢磨(だんたくま)、安田財閥の祖・安田善次郎など実業家の墓所が造られました。

大正時代に文人実業家・高橋義雄が境内整備に尽力

護国寺
八脚門、切妻造りの仁王門
護国寺
徳川家達筆の扁額「不老」が懸かる不老門

大正時代〜昭和初期には、箒庵を号していた茶人で文人実業家として知られる高橋義雄(たかはしよしお)が檀家総代を務めて境内の整備に尽力しています。
芝にあった松平不昧公(まつだいらふまいこう=松平治郷)の墓所が関東大震災で被害を受けたため、故郷・松江に戻す案もありましたが高橋義雄の肝煎りで護国寺に移設されています。

三井寺(園城寺=滋賀県大津市)にあった日光院客殿を第百国立銀行、東京貯蔵銀行、横浜正金銀行の頭取などを歴任し、さらに東武鉄道、山陽鉄道、東京電燈、帝国ホテルなど名だたる企業の設立に参画した原六郎から譲り受け本堂西に移設しています。

高橋義雄が建築に関わった多宝塔は、石山寺(滋賀県大津市)の国宝・多宝塔がモデル。
不老門は、京都・鞍馬寺にある由岐神社(ゆきじんじゃ=鞍馬寺の鎮守社)拝殿(豊臣秀頼建立の桃山建築)を模しています。

都心にありながら美しい伽藍が残されている

明治16年、大正15年と火災で堂宇の多くを失っていますが、仁王門、大名屋敷の表門のスタイルである惣門は創建当時のもの。
元禄10年(1697年)建立の本堂、月光殿(旧園城寺塔頭・日光院の客殿、桃山時代)は国の重要文化財。
元禄4年(1691年)築の薬師堂(旧一切経堂)、元禄14年(1701年)築の大師堂(旧薬師堂)、昭和13年築の多宝塔、明治35年築の忠霊堂、江戸時代中期の建立の鐘楼などが並ぶ境内は、都心にありながら江戸時代にタイムスリップしたかの荘厳さが漂っています。
そのほか、寺宝として絹本著色尊勝曼荼羅図、金銅五鈷鈴など国の重要文化財を多数収蔵しています。

境内には江戸時代に全盛だった富士講(富士山信仰)を今に伝える富士塚「音羽富士」(一合目から十号目まで石碑が配されています)もあります。
富士塚「音羽富士」近くに立つ「民謡碑」は、『江差追分』の研究を続けた新潟県出身の民謡家・青木好月を顕彰して昭和57年に建立されたもの。
もうひとつ、注目は護国寺大仏(毘盧遮那仏)。
筑波権現(現・筑波山神社)の別当寺・護持院が明治の神仏分離・廃仏毀釈の荒波で廃寺となる際に、移されたもの。

なお、筑波山大御堂は、護国寺の別院になっています。
有名人の墓所としては、作曲家・團伊玖磨、建築家・ジョサイア・コンドル(Josiah Conder=ジョサイア・コンダー)、漫画『巨人の星』・『あしたのジョー』・『タイガーマスク』で有名な梶原一騎(かじわらいっき)、空手の大山倍達などが眠っています。

護国寺のおもな年中行事

護国寺
不老門

日曜9:00〜本堂でお勤めの会『修養会』が行なわれ、法要後は貫首大僧正の法話があるので、ぜひ参加を。
日曜と元日を除く毎朝6:00〜(10月〜3月までは6:30〜)『普門品読誦会』が行なわれ、こちらも参加は自由です。

毎月18日は観音様の縁日で(5月18日のみ大施餓鬼会のため中止)ご本尊・如意輪観世音菩薩御開帳されています(9:00〜開帳法要、16:00〜閉帳法要、12:00〜13:00は本堂閉堂)。

5月18日には最大の行事である『大施餓鬼会法要』が行なわれています。
7月9日〜10日は、参詣すれば4万6000日分の功徳があるという『四萬六阡日』で、この両日のみ雷除け札を授与。

『江戸切絵図』に見る 護国寺

護国寺
江戸切絵図・護国寺

地図上では右側(東側)に護持院が記されています。
磐城平藩安藤家下屋敷と、護国寺の隠居屋敷は現在、お茶の水女子大学のキャンパスになっています。
護国寺からまっすぐに江戸川橋に向かって伸びる道は、現在も音羽通りとして健在です。

護国寺 DATA

名称 護国寺/ごこくじ
Gokokuji Temple
所在地 東京都文京区大塚5-40-1
関連HP 護国寺公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ有楽町線護国寺駅から徒歩すぐ
ドライブで 首都高速5号線護国寺出口から約500m
駐車場 桂昌殿駐車場(70台)を利用
問い合わせ TEL:03-3941-0764/FAX:03-3941-0721
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
 

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