加賀藩13代藩主・前田斉泰(まえだなりやす)が、1827(文政10)年、11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の娘・溶姫(やすひめ・ようひめ)を正室に迎えた際に建立された御守殿門。現在は、本郷通りに面した東京大学の本郷キャンパスの門として保存されています。
幕末に建築された加賀藩の御守殿門が現存、国の重要文化財に
以前は15mほどキャンパス寄りに位置していましたが、明治30年頃から始まる医科大学の建設のため、明治36年に現在の場所に移築されています。
江戸時代、三位以上の大名が将軍家から妻を迎える場合、その娘、さらに居住する奥御殿を「御守殿」(ごしゅでん)、または御住居(おすまい)と称し、表門が黒門であるのに対し、表通りからその場所へ出入りする朱塗りの門を御守殿門と呼んでいました。
加賀藩前田家上屋敷の御守殿門は各藩の藩邸があった東京に現存する唯一の門で、赤門と通称されています。
東京大学の本郷キャンパスの地は、もともと加賀藩江戸上屋敷で、3代将軍・徳川家光、そして隠居した大御所・徳川秀忠の御成(訪問)に備えて加賀藩が築いた御成御殿と庭園「育徳園」がありましたが、「育徳園」の心字池が、現存する三四郎池(夏目漱石の名作『三四郎』の舞台)です。
江戸切絵図と浮世絵に見る 加賀藩江戸上屋敷
1617年〜1618年(元和2年〜3年)頃には、本郷に屋敷地を拝領してこれを下屋敷とした加賀藩ですが、1863(天和3)年に、本郷邸を上屋敷、駒込邸が中屋敷、平尾邸が下屋敷と定められました。
そのほか蔵屋敷が深川黒江町にありました。
前田家への将軍の御成は、2代秀忠、3代家光、5代綱吉、11代家斉が行なっていますが、とくに江戸時代初めの2代秀忠、3代家光のときには足繁く栄誉ある御成がありました。
本郷通り(旧中山道)に面した加賀藩本郷邸は、広重の錦絵にも描かれています。
初代広重による錦絵『狂句合 本郷』には上屋敷の本郷通り側の様子、赤門(御守殿門)、御住居(御守殿=藩主夫人の居所)が描かれています。
『東都三十六景 本郷通り』は二代広重の作で、1862(文久2)年の制作。
東京大学赤門(旧加賀屋敷御守殿門) DATA
名称 | 東京大学赤門(旧加賀屋敷御守殿門) /とうきょうだいがくあかもん(きゅうかがやしきごじゅでんごもん) Akamon Gate (Goshuden-mon of the former Maeda Clan’s Residence) |
所在地 | 東京都文京区本郷7-3-1 |
関連HP | 東京大学公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ丸ノ内線・都営大江戸線本郷三丁目駅から徒歩7分 |
ドライブで | 首都高速神田橋ランプから約3.1kmで赤門前 |
駐車場 | なし/周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 東京大学TEL:03‐3812‐2111 |
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