赤山地下壕跡
千葉県館山市にある館山海軍航空隊の地下壕。総延長約1.6kmの地下壕(トンネル)で、太平洋戦争末期の昭和19年頃から建設が始まったと推定されています(建設年代は太平洋戦争開戦以前とする説もあり定かでありません)。受付は、…
千葉県館山市にある館山海軍航空隊の地下壕。総延長約1.6kmの地下壕(トンネル)で、太平洋戦争末期の昭和19年頃から建設が始まったと推定されています(建設年代は太平洋戦争開戦以前とする説もあり定かでありません)。受付は、…
東京湾の入口、富津岬に整備された千葉県立の公園。明治時代から太平洋戦争まで要塞地帯だったため、一般の立入が禁じられ、その結果、開発の手を免れて緑豊かな半島が残されています。公園全体が南房総国定公園に指定。海岸部は千葉県の…
当初は清国北洋水師、次にロシア太平洋艦隊の来攻を想定して東京湾の入口、富津岬の基部に築かれた東京湾要塞のひとつが富津元洲堡塁砲台。東京湾要塞の一部として大正時代まで機能しました。現在は県立富津公園の一部で、要塞の中央部に…
東京湾に向かって、鶴のくちばしのように突き出した約5kmの砂嘴(さし)。南房総国定公園の一部で、わずか7km先の対岸に、三浦半島の観音崎を見渡せます。その観音崎と同様、幕末の1810(文化7)年には現在の県立富津公園の中…
明治15年に海軍省により、戦死もしくは殉職した軍人のために馬門山(まもんざん)に設けられたのが馬門山海軍墓地(横須賀海軍墓地)。毎年5月に墓前祭が行なわれるほか、秋の彼岸花開花シーズンに、『彼岸花まつり&写真コン…
館山市佐野の田園地帯に赤レンガの遺構が残されています。 これが、全国から館山に収集された予備学生が過酷な教育を受けた館山海軍砲術学校の炊事場の跡。 館山に散在する戦争遺跡は、地元NPOの平和教育などに活用されています。
掩体壕(えんたいごう)とは滑走路近くに飛行機を隠しておくコンクリート製の格納庫。 軍事施設への爆撃から飛行機を守るため、頑丈な格納庫が造られたのです。 それが千葉県館山市宮城地区に現存しています。 本土防衛の航空基地が置…
太平洋戦争の敗色が濃厚となり、アメリカ軍の房総半島上陸の可能性が囁かれた戦争末期、館山市に海軍は秘密基地を構築します。 秘密基地ゆえに、いつ頃掘られたのかも不明確な地下壕ですが、謎を秘めながらその一部が公開されています。
NHKのドラマとしても注目を集めた司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』。 明治維新以降の日本の近代化、西洋列強に肩を並べることを目標に日露戦争へと突き進む富国強兵政策を描いています。 その『坂の上の雲』に登場する艦船と兵器が、…
昭和20年8月の終戦まで旧軍の要衝地帯として幕末からの長きにわたり、一般の立ち入りが厳しく制限されてきた観音崎。 実は、それゆえに、知られざる不思議なスポットが数多く残されています。
県立観音崎公園として豊かな自然が残る観音崎一帯。 実は、豊かな自然が残るのは戦前は一般の立入が禁じられた要塞地帯だったから。 海岸部にも不思議な構築物があります。その筆頭が、水中聴測所。
海中に海底神社も鎮座する千葉県館山市波左間(はさま)。 夏は海水浴でも賑わう羽佐間地区ですが、その集落前、漁港近くの海岸に海に突き出したコンクリート製の構造物が。 かなり歴史を感じさせるこの構造物こそ、水上特攻艇(特殊潜…
本土決戦最後の切札として、海軍が全力を挙げて開発したロケット特攻機「桜花」四三乙型。 その秘密発射基地が造られたのが現在の南房総市下滝田。 ここに下滝田基地があったのです(TOPの画像は5式噴進射出装置=射出用カタパルト…
東京湾を航行する船から、そして富津岬突端の展望塔(明治百年記念塔)から眺めることができる、東京湾の人工島が第二海堡(だいにかいほ)。 富国強兵を目ざした明治時代に、東京湾防備の要として建設された海上砲台です。
明治20年代に山縣有朋(やまがたありとも)らによる本土要塞化の一環で、東京湾の要塞化が図られました。 最初に築かれたのが、富津岬の根元の砲台(富津元洲堡塁砲台)と、富津岬沖(約1kmほど沖)の第一海堡(だいいちかいほ/だ…
東京湾に突き出した富津岬全体が千葉県立富津公園に指定されていますが、実はその根元の部分に、堀で囲まれた城郭のようなものがあるのをご存じでしょうか? これが、東京湾防備の要塞の一つ、富津元洲堡塁砲台の跡です。