千葉県立富津公園
東京湾の入口、富津岬に整備された千葉県立の公園。明治時代から太平洋戦争まで要塞地帯だったため、一般の立入が禁じられ、その結果、開発の手を免れて緑豊かな半島が残されています。公園全体が南房総国定公園に指定。海岸部は千葉県の…
東京湾の入口、富津岬に整備された千葉県立の公園。明治時代から太平洋戦争まで要塞地帯だったため、一般の立入が禁じられ、その結果、開発の手を免れて緑豊かな半島が残されています。公園全体が南房総国定公園に指定。海岸部は千葉県の…
当初は清国北洋水師、次にロシア太平洋艦隊の来攻を想定して東京湾の入口、富津岬の基部に築かれた東京湾要塞のひとつが富津元洲堡塁砲台。東京湾要塞の一部として大正時代まで機能しました。現在は県立富津公園の一部で、要塞の中央部に…
東京湾に向かって、鶴のくちばしのように突き出した約5kmの砂嘴(さし)。南房総国定公園の一部で、わずか7km先の対岸に、三浦半島の観音崎を見渡せます。その観音崎と同様、幕末の1810(文化7)年には現在の県立富津公園の中…
江戸城の本丸、二の丸、三の丸部分が現在の皇居東御苑。明治時代に宮殿の造営にあわせて皇居附属庭園として整備されたもので、今も皇居の一部であることに変わりがなく、宮内庁が管理しています。昭和43年に公開され、江戸城の核心部分…
太田道灌が江戸城を築いた15世紀には、江戸湾に面した現在の平川門周辺には、上平川村、下平川村という村があったのが平川門の名の由来です。太田道灌の時代から門が築かれていたと推測され、3代将軍・徳川家光の治世である1635年…
鴨川市太海(ふとみ)の海岸から200mほどの海上に浮かぶ、仁右衛門島。周囲4kmの小さな島は、なんと平野仁右衛門さん個人所有の島。平野家の当主は代々仁右衛門を名乗りますが、推定38代目という当主の平野仁右衛門さんが、実際…
鴨川市の内浦湾内にあり、日蓮が訪れた際、海に向かってお題目を書くと、多数の鯛が集まって、そのお題目を食べつくしたという伝説が残る海が鯛ノ浦(妙ノ浦)。それ以来、鯛はこの地で「日蓮聖人の分身」として、殺生禁断で保護されてき…
天津小湊(あまつこみなと)の海岸に建つ日蓮宗(にちれんしゅう)の総本山。1276(建治2)年、日蓮誕生の地を記念して、生家跡地に、上総興津(かずさおきつ)城主・佐久間重貞、日蓮の弟子・日家(にっけ)上人らが建立したと伝え…
鴨川市にある外房屈指の絶景ポイントが魚見塚展望台。魚見という名の通り、かつて沖合に、魚の群れが来るのを漁師たちが見張ったことが名の由来です。それだけ海の眺めがいい場所ということで、リアス式海岸の外房の入り組んだ海岸線を眺…
寺伝では、771(宝亀2)年、不思議法師と呼ばれる僧が創建という古刹で、836(承和3)年、円仁(慈覚大師)が再興し天台宗となりますが、1618(元和4)年、徳川秀忠の命で真言宗に改宗。日蓮宗になったのは昭和24年のこと…
木更津エリアから離れ、袖ケ浦へやってきました。 この日は夜に東京ドイツ村イルミを見て、そのままアクアライン使って帰る計画。
江戸城の本丸と二の丸、三の丸跡を整備し、昭和43年から一般に公開したのが皇居東御苑。「皇居附属庭園」というのが元来のスタイルで、今も宮内庁の管理です。
江戸城の本丸を守る内濠(内堀)のひとつが三日月濠。明治21年、江戸城西の丸・吹上に明治宮殿で建設され、乾門(いぬいもん)が新造されたことで、乾濠と呼ばれるようにもなりました。三日月濠という名は、その名の通り、三日月のかた…
江戸城桔梗濠に面した門が桔梗門(ききょうもん)で、「桜田門外の変」で井伊直弼(いいなおすけ)が暗殺された外桜田門に対して、内桜田門とも呼ばれています。この門を入ると江戸城三の丸で、大名などの登城は、大手門と内桜田門(桔梗…
1614(慶長19)年に造られた桔梗門(内桜田門)近くにある江戸城の内濠(内堀)。最初に江戸城を築いた太田道灌の時代に、この近くに道灌が築いた「泊船亭」があった地と伝えられ、道灌の家紋の桔梗紋から桔梗門、桔梗濠という名が…
平川門と大手門の間にある江戸城の内濠(内堀)が大手濠(大手堀)。大手とは追手、つまりは玄関(正門)という意味なので、この大手濠のある側が江戸城の正面ということになります。
江戸城・平川門に架かる平川橋を境に西側の内濠(うちぼり)が平川濠(平川堀)、東側は大手濠と呼ばれ、水は平川濠から大手濠に向けて流れています。平川濠は北桔橋門から平川門まで江戸城本丸の北側、三の丸の西側を防備する濠です。平…
乾門は江戸城の乾(いぬい=戌亥/北西)の方向にある門の一つですが、実は明治21年、皇宮建設の際に新たに誕生した「明治の門」。坂下門の内側にあった西の丸裏門を移築したものです。新年一般参賀、桜の開花期、秋の紅葉の時期に行な…