最上徳内の墓(蓮光寺)

最上徳内の墓(蓮光寺)

東京都文京区向丘に建つ蓮光寺は、慶長6年(1602年)に湯島に創建し、明暦の大火で現在の寺地に移ったという浄土宗の寺。現在の文京区小日向(こひなた)に下屋敷を有した大垣藩主・戸田家の墓所にもなっていますが、境内入口近くの墓地には江戸時代の北方探検家・最上徳内(もがみとくない)の墓があります。

江戸時代後期に蝦夷地を9回に渡って調査した探検家

蓮光寺

蓮光寺の山門

蓮光寺

蓮光寺の境内

出羽国村山郡楯岡村(現・山形県村山市楯岡)出身の最上徳内は、天明4年(1784年)、数学者の本多利明(ほんだとしあき)が江戸に開いた算学・天文の私塾「音羽塾」に入門し、天文学や測量を学び、天明5年(1785年)、幕府の蝦夷地調査団に随行して蝦夷地に渡ります。

釧路、厚岸、根室、さらに国後島(くなしりとう)などを探検。
アイヌが蜂起したクナシリ・メナシの戦いを江戸に伝えたのも最上徳内です。

4度目の蝦夷上陸では、クナシリ、エトロフからウルップ北端まで探索、アイヌに作物の栽培法などを指導、厚岸に神明社を建立し、アイヌの教化を試みています。
5度目の蝦夷上陸でついに樺太の調査を行なうなど生涯9回の蝦夷地・北方の探検を行なっています。
晩年は江戸の浅草に住み、 天保7年9月5日(1836年10月14日)没。

『江戸切絵図』に見る 蓮光寺

寺町である一帯の雰囲気は江戸時代後期も今もさほど変わりはありません。
ただし、第二次世界大戦の空襲で焼け野原となっており、往時の堂宇は失われています。

《幸江さんに伝言》
Grave of Mogami Tokunai

最上徳内の墓(蓮光寺)

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