東京都台東区今戸にある古社が今戸神社で、近年、境内に多くの招き猫が奉納され、縁結びの社として人気急上昇。平安時代後期の康平6年(1063年)源頼義・義家親子が奥州討伐の際に、京の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の分霊を勧請して創建と伝えられています。浅草七福神のひとつ福禄寿が祀られています。
境内には今戸焼発祥の地、そして沖田総司終焉の地でもある
往時には今戸八幡神社と昭和12年に白山神社を合祀して今戸神社に。
八幡神は本来は武神ですが、合祀された白山神社の祭神が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)という夫婦神であることから、縁結びにご利益があるとされています。
浅草寺三社権現(現・浅草神社)鳥居前で老婆によって売りだされ、大流行になったという今戸焼の丸〆猫(まるしめのねこ)の今戸焼は、今戸神社の建つ、今戸の地で江戸時代から明治時代を中心に焼かれていた焼き物。
幕末には50軒余りを数えたという(『本朝陶器攷證』)今戸焼ですが、今では幻になりつつあります。
今戸神社の石造狛犬(台東区有形文化財)は、宝暦2年(1752年)に今戸焼職人42名が奉納したもの。
その銘文に白井善次郎の名がありますが、その末裔、白井家6代目の白井裕一郎さんは、台東区内で唯一の今戸焼作家で、現在も狐、狸、あねさま、招き猫などを焼いています。
今戸焼きの招き猫は、日本の招き猫のルーツとも
そんな今戸焼きの招き猫は、日本の招き猫のルーツともいわれているのです。
招き猫が奉納される今戸神社境内には、今戸焼発祥の地碑も立っています。
新撰組の沖田総司は、肺結核となり、官軍の江戸侵入を目前にし、新撰組の傷病兵などを今戸八幡神社(現・今戸神社)境内の医師・松本良順(戊辰戦争では幕府陸軍の軍医)邸内に収容されたと伝えられ、この地で沖田総司は没しているのだとか。
永倉新八の新撰組隊士名簿『同志連名記』には「江戸浅草今戸八幡松本本順先生宿にて病死」と記され、それを裏付けています。
一説には、浅草今戸から千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅(辺・東京都新宿区大京町29)に移って没したともいわれ、現在のところ、江戸には2ヶ所の「沖田総司終焉の地」があることになります。
今戸神社 DATA
名称 | 今戸神社/いまどじんじゃ Imadojinja Shrine |
所在地 | 東京都台東区今戸1-5-22 |
関連HP | 今戸神社公式ホームページ |
電車・バスで | 東武鉄道・東京メトロ・都営地下鉄浅草駅から徒歩15分 |
ドライブで | 首都高速駒形ランプから約2km |
駐車場 | なし/周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | TEL:03-3872-2703/FAX:03-3872-2703 |
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