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吉良邸跡(本所松坂町公園)

『忠臣蔵』で知られる吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)の江戸上屋敷跡(吉良邸跡)。降りしきる雪のなか、亡き主君・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の仇討ちに元赤穂藩の四十七士が向かった先です。かつて吉良はこの一帯に広大な屋敷を構えていましたが、本所松坂町公園として残るのは、吉良邸の北側の一部のみ。

赤穂浪士が討ち入りした吉良邸の跡が公園に

討ち入り当時の吉良邸は、東西733間(134m)、南北は34間(63m)、2550坪(8400平方)という広大なものでした。
現在の公園の面積は、97.56平方なので、86分の1の規模ということに。

往時の吉良邸を偲ぶなまこ壁に囲まれ、吉良上野介の首を洗ったとされる「首洗いの井戸」や供養碑が残されています。
当時ここは本所松坂町と呼ばれていたので、現在、本所松坂町公園という名称になっています。

もともと吉良邸は鍛冶橋にありましたが、1698(元禄11)年の大火で焼失(元禄の大火で消防の指揮をとっていたのは播磨赤穂藩主・浅野内匠頭)。
呉服橋で再建したのが討ち入りにあった吉良邸ではなく、江戸城・松の廊下での殺傷事件の後で、呉服橋の吉良邸を召し上げられて、江戸郊外の本所松坂町に移っていたのです。
吉良上野介が近藤登之介の屋敷跡を拝領したのが元禄14年9月3日、赤穂浪士の討入りがあって没収されたのが元禄16年2月4日なので、吉良邸があったのは1年半に満たない短期間です。

元禄15年12月14日(1703年1月30日)、厳寒のなか、吉良邸に乱入。
吉良邸側も死者15人を生むという事件となっていますから、必ずしも「義士たちの仇討ち」では済ませることができない側面もあったのです(単なる復讐劇とする解釈も成り立ちます)。

公園内にある松坂稲荷大明神は、江戸時代はじめに御竹蔵(江戸幕府の資材置き場)の水門内に鎮座した兼春稲荷で、討ち入り以後に吉良邸跡へ地所清めのために遷座したもの(昭和10年に上野稲荷と合祀)。

赤穂浪士が討ち入りは、「仇討ち」ではなく「押し込み」

北斎『仮名手本忠臣蔵十一段目』討ち入りの図です

吉良上野介を討った赤穂浪士たちは、万年橋を渡り、2時間ほどかけて浅野家菩提寺・泉岳寺に到着しています。
泉岳寺で亡き主君・浅野内匠頭の墓前に吉良上野介の首を供え、線香を上げたのです。

その後、幕府は赤穂浪士を、細川越中守綱利、松平隠岐守定直、毛利甲斐守綱元、水野監物忠之の4大名家に預け、「主人の仇を報じ候と申し立て」、徒党を組んで吉良邸に「押し込み」を働いた罪で、切腹を申し渡しています。
つまり、幕府は「仇討ち」としては認めていないことになります。

当時の仇討ちは、子が父のというように目上の人の敵討ち(かたきうち)というのが一般的であり、その正当性も定かで無いことから幕府としては「仇討ち」とは認めがたかったわけなのです。

吉良家が浅野家の製塩技術が欲したことが背景にあったというのも俗説にすぎません(吉良の塩田の歴史は戦国時代まで遡り、江戸時代には干拓地に大規模な入浜式塩田が営まれています)。

なお、毎年12月14日に行なわれる泉岳寺の『赤穂義士祭』では、討ち入り装束を着た「義士行列」(財界二世学院主催)が吉良邸跡地から泉岳寺まで行進しています。

吉良上野介義央
1641(寛永18)年、高家旗本(こうけはたもと)・吉良義冬と大老・酒井忠勝の姪(忠吉の娘)の嫡男として、江戸鍛冶橋の吉良邸で生誕。
三河国・吉良家(4200石)、駿河国・今川家(1000石)は、徳川家康が高家旗本として幕臣に列した名門中の名門です。
高家は、江戸幕府における儀式や典礼を司る役職。
1683(天和3)年には、3人しかいない高家のトップである、高家肝煎となっています。
有職故実や礼儀作法に特に精通していたことが選ばれた理由です。
1686(貞享3)年には領地の三河国幡豆郡に黄金堤(こがねづつみ=この堤で吉良8000石が水害から守られました)を築いているなど、西尾市吉良町では名君として知られています。
墓所は、西尾市吉良町の華蔵寺。
戒名は「霊性寺殿実山相公大居士」。
『江戸繪日本史』に掲載される討ち入り

吉良邸跡(本所松坂町公園) DATA

名称 吉良邸跡(本所松坂町公園)/きらていあと(ほんじょまつざかちょうこうえん)
所在地 東京都墨田区両国3-13
関連HP 墨田区公式ホームページ
墨田区観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR・都営地下鉄大江戸線両国駅から徒歩10分
ドライブで 首都高速本町ランプから約2.1km
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 墨田区観光協会TEL:03-5608-6951/FAX:03-5608-7130
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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作成者: プレスマンユニオン編集部

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